2012年4月11日水曜日

オランダ日記 2008年6月


オランダ日記 2008年6月

6月&7月

7月31日 マテアが入院した。
ずっと〈ツーワードおじさん〉と呼んでいた、昨年末に亡くなったおじいさんの奥さん。
脚の骨にはめられたネジが体内ではずれているらしくて、最近はずっと松葉杖で痛そうに歩いていたので、その手術に。

松葉杖をつきながら、エステティシャンの仕事も自宅でつづけているし、なんでも自分でやろうとするカッコいいおばあさん。
気むずかしいツーワードおじさんが亡くなってからぐっと仲良しになった。

ネコの世話を頼んでもらったので、うれしくてたまらない。
昔、うちで飼ってたネコにそっくりだし。
息子も家を自由に使わせてもらうのを楽しみにしている。
(ネコの世話を頼まれたのも息子。いままでもいろいろと世話してきたから。)

14年前に引� ��越してきたときにもう○○年も住んでるって聞いて驚いたくらいだから、さすがにうちよりずっと古めかしい。
ヘビースモーカーだったツーワードおじさんのタバコのヤニで壁と天井が黄ばんでいる。

弟にも言われたし、うちの家って気にしてるほどボロくはないのかも、と思えた。
弟がほんとに気持ちのいい家だね、と言ってくれたので、ちょっと自信を取り戻した。

ネコは捨てネコセンターからもらってきたものなので、それほどなついてはないけれど、じっくり撫でてあげたら、ちょっとだけゴロゴロ言ってくれた。
仲良くなれるといいな。

そして、だいじなだいじなネイバー、マテアの手術が明日、うまくいきますように!

7月29日 ひさしぶりに今日の晩ごはん。

 
 インゲンのバタ� ��炒め
 プチトマト
 豚バラと人参、玉ねぎの炒め物
 (ナンプラー味、たっぷりコリアンダー)
 キュウリとワカメと紀州梅干のサラダ
 押し麦入りごはん

カレーが作りたい気分だったのだが、買い物に出そびれた。
てきとうに作ったわりにおいしかった。
(夫との共同作業だけど)

過去の〈ウルルン〉が一気にアップされていて、きのうと今日はウルルンを3人で見ながら食べた。
見たくなかったのだが、オランダ編……

〈風車野郎〉っていったいなんなんだ!?
「風車野郎、風車野郎」とナレーションが入るたびに、1回も逃さず、「風車野郎ってなんなの!?」と突っ込みを入れずにはいられなかった。

いつもはふつうの視聴者として楽しみに見ているウルルンだが、字幕が9� ��%は勝手な作り話になっている(=言ってることを完全に無視してる)と、見終わった後、脱力してしまった。

要するに、わからないだけで、いつも世界中の勝手な作り話を見せられてるだけなんだって。

まぁ、そんなことブツブツ言ってもしょうがないし、また見てしまうんだけど。
(ウルルン、もうすぐ終わるんですね。)

気を取り直して夫と久々に森にさんぽ。
弟たちを連れていきたかったのだが、雨が降ってしまって残念だった。
また次回のお楽しみ。

 

7月27日 弟たち、無事、アムステルダムを出発。

さいごまでドタバタでおもしろかった〜。

今朝、2人は9時前からアンネの家に並び、9時前に開けて入れてくれたそうで、スムーズに見学できたそうです。
きのう並ん� �いたら2時間待ちとかだった。
暑いわ、雨は降り出すわで、きのう並んでいたらタイヘンだっただろう。
弟のナイスな判断でした。

だけど、ホテルで別のタイヘンなことがあって。
なんと、航空券を入れたセイフティボックスが開かなくなってしまった!
なかなか直してもらえないようなので、ハラハラしながらホテルに行ったら、初日からずっと感じよく対応してくれていたおにいさんが、「ちょうどいま、ボクが行って直してきました。5人くらいやってみてもダメだったから、ほんとによかった!」

いやはや、アムステルダムは楽しかったし、ホテルもよかったけど、帰れなかった! っていうことになるかと、ドキドキだった。
弟らしいエピソードというか、わたしにもありそうなことだなぁ、という か。
みんなで笑えてよかった。

それから駅前のカフェでゆっくりとランチ。
昨夜、アルゼンチンでがっつり肉料理をごちそうしてくれたので、オランダ名物ブローチェ・クロケットをお礼にごちそうする。
そういえば、きのうのお昼は「オランダでファストフードが食べてみたい」ということで、最近、日本に再上陸したバーガーキングへ。
こちらも新鮮な野菜がたっぷりで炭火焼風のハンバーガーでとてもおいしかった。
ポテトもカリッとしていたし。

いっしょになって、ふだん食べないものをいっぱい食べてしまったけど、楽しかったからいいや。
(今夜からしっかりウォーキングしよう。)

そして、駅に着いて、少しぶらぶらしてからホームに行ったら、もう乗る電車が来てから弟が突然、「や� ��ぱり水1本、買ってくるわ」といなくなる。
わたしが行くって言ったのに……
気がついたら急にパパがいなくなっていて、甥っ子は「方向オンチだから心配だ。ちょっと探してきます」
甥っ子が戻ってこなかったらもっと心配なので、ぜったい大丈夫だよ、といっしょに待つ。
息子が探しにいって、「どこにもいない」と言っているところに、階段を駆け上がってくる弟。
「すごい人が並んでいた」と笑っている。

そして、いよいよ乗る号車へ。
お別れをして彼らが入っていくと、ICEの窓がミラーガラスになっていて、いったいどこにいるのかぜんぜん見えない。
止める息子を置いて、どこに乗っているか確認にいく。
反対側のドア付近にいるのがわかったので、降りてそっちのドアまで走り、「お〜い !」と声をかける。
「この電車、外から中がぜんぜん見えないんだよね」と言うと、甥っ子が外に飛び降りて、見てみようとする。
ほぼ同時に、「降りちゃダメだよ」(弟)、「あぶないよ!」(私)、「ピ〜ッ!」(笛)。
甥っ子があわてて飛び乗ると、シュ〜ッとドアが閉まった。
さいごは電車の中も外も大笑い。
楽しいお別れになった。

パリで電車に乗り遅れていたら……
セイフティボックスが開かなかったら……
甥っ子がホームに取り残されていたら……

何年たっても会うとこの話題で盛り上がりそう。
またいつか、こんなドキドキ楽しい時間をいっしょに過ごせますように。

7月26日 30℃近いアムステルダムの街をかなり歩いた。
アンネの家は2度、見にいったけど、2度� ��すんごい行列であきらめました。
明日の朝イチでリベンジ。

ゆっくり語り合う時間ももてた。
子どもだった者たちが親となり、大人になりつつある子どもたちの将来を考えている……
あたりまえなんだけど、やっぱり不思議。
そうやって親子関係は過去にも未来にもつながっている。

7ヶ月ちがいの息子と甥っ子。
ぜんぜんちがうところもおそろしく似ているところもある。
おたがい一人っ子だから、年の近いいとこどうしでよかった。

世界情勢も環境も個人の力で変えることはできないけれど、人と人のパワーが合わさってよいものを共有できると、その人たちのまわりはよくなっていきそう。
そんな時間がもてたような気がする。

明日のお昼にはもうお別れだと思うと寂しくもあるけれ� �、短くても充実した時間だった。

でも、感傷に浸るのはまだ早い。
ちゃんと電車に乗ってバイバイするまで、「あぁ〜っ!」という失敗がないように、おっちょこちょいの弟を見送るおっちょこちょいの姉は、さいごまで気が抜けないのだ。

7月25日夜 弟と無事、再会。

中央駅まで迎えに51番に乗っていこうとしてトラム停に着いたら、「あぁっ!」
51番、工事中で走ってないことを思い出した。
暑さの中、5番で街をぐるりと回って中央駅に行くことに。

10分くらい遅れる。
(どうか、タリスも遅れていますように)と祈りつつ。
タリス到着のホームを歩いていると、むこうから弟と甥っ子くんが先に見つけて歩いてきた。

あぁ、また迎えに間に合わなかった〜。
いつものんび� ��しすぎて出かけにバタバタになり、迎えに間に合わないわたし。

でも弟には感謝される。
きのう、わたしがタリスのサイトを調べてパリの弟に「出発時間がちがってるみたいだよ」と電話していなかったら、乗り遅れて日本で手配した切符がムダになるところだった。

旅行会社のミスかと思ったら、「ちゃんと読んだらそう書いてあった(笑)」と弟。
「あぁ、わたしもそれ、あるよ。わたしのときにはちゃんと読まずに空港に行ったら、この飛行機は10分前に出発しましたって言われたんだよ(笑)」

聞くところによると、日本の出発からずっと、飛行機や電車に乗るのがギリギリセーフばかりらしい。
「わたしもミュンヘンからトマと2人共、病気で帰ってくるとき、電車に乗るのにすごい走らないとい� �なかったの。途中で切り離される電車だったから」
「ぼくも。自分の車両まで間に合わなかったから、なんとか切り離される前まで走った」

きょうだいで似すぎだ。

甥っ子くんが少し電車で気持ち悪くなってしまったので、あっさりとベトナム料理を食べることにする。
生春巻きをおいしい、おいしいと食べてくれ、揚げ春巻きも焼き飯も元気に食べれた。

夫もベトナム料理店にかけつけて、5人で楽しいときを過ごす。
東京や大阪でないところで不思議な感じ。

明日も楽しい日でありますように。

7月25日 27℃と暑くなってしまった。
弟が14年ぶりにオランダに来るのに。
あのときには存在しなかった息子を連れて。
あのとき、うちの息子はすでにおなかの中で出番を待っていて� ��やっぱりこんなふうに暑かった。

ドキドキの再会。
(先日、東京で会ったところだけど。)

さて、今朝は日本からだいじに持ち帰った「食堂かたつむり」を読み終わったのだが、正直、とてもガッカリした。
草野マサムネさんの推薦文に釣られて買ったのだが……

おいしそうに思える料理があんまりなかったし、言葉が響いてこなかった。

〈料理は祈りだ〉という直接的な言葉ではなく、それを行間にかもしださせることが欲しかった。
(いつか俵万智さんが若手の短歌を評して、そう書いていたのを思い出した。)

スーツケースのスペースは限られていて、文庫でない重たい本は貴重なものなのに。
人にあげるときも「これ、おもしろくなかったけど、話題になってるから読んでみてね」と言う� ��かと思うと、さびしい気持ちになる。

わたしは病気とかでなく頭を剃ってる女の人の食堂ではごはんは食べたくないなぁ。

あと、インド人の恋人のナゾはそのままなんかい!?
相手の持ち物まで持っていなくならないよなぁ。
(っていうか、なんで警察に届けない!?
意味わかんないよ。)

そして、豚のとさつはあんなものじゃないと思う。

はぁ〜っ。

さてと、弟が来るまでにいろいろしなきゃ。

7月23日 マックブック、買いましたよ〜。

すごい物ですね。
昭和時代の人間にはもはやついていけません。

息子はさっそく作品を作っていた。
これで世界がまた広がるだろう。

1200ユーロの物を子どもに買い与えることは、責任のある行動か?
息子に言われてあら� �めて考えたけれど、うちはこれでいいのだと思う。

家で長期の仕事をしていて、ずいぶんと色々、家族に負担もかけているし。
うちにはWiiとかもないし(カーペットが擦り切れてるし、下にメイワクだし)、子どものときからトータルして、ぜったいに贅沢ではなかった。
(日本にはよく行ってたけれど。)

息子はこっちでは早生まれなので、アルバイトができるのもまだ2年先の夏休みだし。
なにより、ほんとうに活用できるものだから。


ときにロブとビッグシーズン2が開始されます

ただし、マックブックのおかげでますます体を使わなくなったら、それは親として責任のある行動とは言えない。
だから、「マックブック買ってから、いままでよりコンピューターの時間が少なくなった」と苦笑されるくらいうるさく体を動かすように言う。

そのくせ、翻訳で不確かなことがあると、「先生、ちょっと質問があるんですけど……」とていねいに声をかけて呆れられる。

そんな我が家だ。

長かった夫のバカンスも今日でおしまい。
さいごにわたしがまた自室でワイヤレスでインターネットできる環境も整えてくれた。
いろいろありがとう。

7月21日 今日は日本から戻っていちばんの寒さで、秋� �装いで出かける。
雨もすごい。
でも、この天気でよかった気がする。
落ち着いて仕事ができる。
今日はもうふつうにできた。
きのうまでは脳が「イヤだ、イヤだ」と言っていたのだが、今日は気持ちよかった。
しばらく使っていなかったので、指も軽快に動く。

3日で調子が取り戻せたのも、こんな天気だったからかも。

さて、この夏は息子の誕生日にマックブックをプレゼントしようとずっと計画していた。
一生懸命、そのためにも働いた。

誕生日は8月末だけど、そのときにはもう学校がはじまっている。
いま、ヒマな夏休みの間にあげた方が、彼もうれしいし、わたしも仕事がはかどるかな、と思い、夫と相談して、いよいよ買いにいくことにした。

今朝、そのことを息子に発表。< /p>

いままで、1年間、1日何十回も欲しい、欲しいと言われつづけたマックブック。
それをいよいよ買おうと思うんだけど、と言ったら……

息子は「わ〜い!」と飛び上がって喜ぶことなく、ソファに座って真剣に考えて、心配そうに言った。

「1200ユーロのものを子どもに買い与えることは、責任のある行動だろうか?」って。

おまえは親か!?

っていうか、わたしたちはそんなに頼りない親!?
そんなにビンボウに思われている!?

まぁ、どっちもだろうな。

しばらくして、息子は言った。
「オッケー。じゃあ、15歳になったらお金を返すから」

生まれたときからの積立貯金が来年、満期になるのだ。
それで返してくれようなんて、涙ぐましい……

「大丈夫だよ。さきち ゃん、いまちゃんと頑張って働いてるから。キミの発達にいいものだから。でも、スクーターとかは買わないよ」
「スクーターには乗らないからいらないよ」
みんながカッコいい自転車に乗っていても、ボロボロの自転車を気に入って乗っている息子だ。

マックブックがあれば大好きな音楽や動画や編集や、いろいろと世界が広がるだろう。
命の危険が増えるスクーターとは訳がちがう。

それで、とうとうパパと買いにいったのだが、あいにく在庫がなくて、明日、別のチェーン店に受け取りにいくことになった。

明日こそ、ここにマックブックがあるといいね!

7月20日 雨の合間を縫ってアムステルパークへ。

木々の向こうにあるカフェでお茶してきた。

まだらウサギはバカンス� �、置き去りにされたのかとても人懐っこくて、わたしの手からニンジンを取った。
野ウサギにニンジンを奪われても気にせず、のんびりと身づくろいしていた。
無事、元気でいますように。

画像が欠けてるんじゃなくて、フォトショップで編集してみた。
去年は買ってきた本のエレメント数がちがって挫折したけれど、今年は少しは編集できるといいな。
っていうか、まずデジカメ買わなきゃ。(これは夫の。)

今日はきのうよりほんの少し頭がよく働いた。

7月19日 夜、異常に眠くて11時半にはばたんと就寝。
そのわりに夜中に2度もトイレに起きたり、朝も6時から目が覚めたり……
日本に行くときよりはずっと軽いものの、やっぱり時差ボケはある。

加えて、「これは梅雨?」� ��思うような天気の悪さ。
天気がよければカフェにのんびり行ってオランダに帰ってきたことを楽しめるのに。

仕方なくダラダラと仕事をはじめた。
おそろしくゆっくりと、どうにか1ページほど訳す。

そしてお昼を食べたところで沈没。
2時間くらい、眠れないのにベッドでダラダラした。

ダラダラすることも必要さ、と思いつつ。

でも、起きたら突然、むくっと(お花を買いにいこう!)という気持ちになった。

マテアがおすそわけしてくれたお花が枯れかけている。
こんなのをおばあちゃんにお供えしておくわけにはいかない。

突然、淹れたてのミルクティーもそこそこに、一応、外に出られる身なりに整えて、さっとひとっ走り、アルバートハインへ。

いつもの金髪のおねえさん� �笑顔で迎えてくれた。

息子のリクエストにBaantjerの最新刊も買ってくる。
〈バーンチャー〉の最初の〈ー〉がすこし短かったのか、1度で通じなかったりして。

このちょっぴり心もとない感じを毎年、通過して、少しずつまたオランダに慣れていく。

今朝の不安な気持ち――またオランダでやっていけるんかな?――が、ちょっぴり晴れた。

さてと、なんだか日本からきのうまでほとんどパパごはんばっかりだったので、無心に野菜を刻んで晩ごはんを作ろう。

7月18日午後 う〜ん、眠くなってきた。
どんなときにもなるべくきちんと生活しようとするわたし。
今日はさっそくそうじです。
(朝のテレビ体操もやりました。)
ふとんをぱたぱたして気持ちいい。

日本では、実家とお世話になった友人宅のそうじ。
こっちでもそうじ。
そうじばっかり。
でも、ホコリを払い、吸い取って、家に風を通すと気持ちがいい。

うちの家、1960年代から改築されてないからボロボロだけど、風がよく通るいい家だと思う。
明るいキッチンでおいしいミルクティーを淹れていると、ほっとする。

そういえば、日本でアルティス動物園のレッサーパンダの赤ちゃんがネコのおかあさんに育てられている、というニュースを見たのだが、そのレッサーパ� �ダが死んでしまったそうだ。
気管支に母乳が詰まってしまったらしい。

このニュースも日本で報道されるのかな?

もっとだいじなニュースがいっぱいあるのに、3週間でオランダのニュースがそれだけ、というのがとっても驚きだった。
オランダなんて存在しないも同然だ。

そんな中、うれしかったこと。
関空ホテルに移る前日、なぜだか母と2人で三宮で固焼きそばを食べることになった。
父と息子が家で待っていたので、母は早々と同じ固焼きそばをテイクアウトして帰っていった。

地元で突然、ぽかんと1人になったわたしはフラフラとそごうデパートへ。
新館5階に紀伊国屋書店があった。

わたしの訳した本、やっぱりここにも置いてないんだろうなぁ、と思いながら歩いていると、す ごく遠くから「天国の発見」が見えた。

思わず自分の書いたあとがきを立ち読みしてしまった。
なんだか不思議な感じ。
あのとき書いた文章が少し堅苦しく感じられたりして。

そっと棚に戻して、上巻も下巻もなでなでして、じゃあね、と声をかけてお別れした。

〈オランダ文学〉なんていうジャンルはないから、少し困ったように〈ドイツ文学〉のとなりに置かれていた。
でもうれしかった。
紀伊国屋さん、ありがとう。
さいごの夜がそれだけで楽しくなった。

7月18日 とりあえず無事、帰ってきました。

きのうは関空からKLMの出発が2時間、遅れて、疲れた。
関空ホテル、チェックアウトしてしまったことが悔やまれた。
次回は出発時間を確認してからチェックアウトするように しよう。
(10回くらい乗ったけど、出発が遅れたのははじめてだった。)

仕方がないので、空港のカフェで朝からたこ焼きを食べながら友だちにはがきを書いていたら、おなかの調子が急にヤバイ感じに。
大荷物を置いたまま、夫と息子に置き去りにされたわたしはどうすればいい!?
なんとかトイレにかけこむはめにはならなかったものの、出だしから調子の悪い旅だった。

はがきなど書いていたのは、今回の旅でケータイが使えなかったから。
プリペイドによる犯罪が増えたため、日本に現住所がないとケータイが使えなくなってしまった。
もちろん、日本に住んでいる人に買ってもらえばいいのだけれど、身分証明が免許証とかでないとダメだとか、いろいろややこしくて、バカらしくなってやめた。< br/>たった3週間だし、去年買ったばかりのケータイを更新するより、新たな機種を買った方が安上がりだとか、納得できないことが多くて。

しかし、ケータイがないとほんとに不便。
じゃあね、と別れて30秒後に聞きたいことを思い出しても、もうその人は見つからない。
次回は断念して、最初から買う手はずを整えようと思う。

今回はそんなこともあり、また、父が腕の骨を折るというアクシデントもあり、あらかじめ会う約束をしていた人以外にはだれも連絡しなかった。
また次回はあそんでくださいね。

父が腕の骨を折ったために、毎回恒例の息子と父の2人旅が中止になったり、いろいろと残念なことはあったが、思いがけず実家に何度も行って、少しは娘らしかったかも。
父からもおもしろい話� ��聞けたし。

えっと、それで関空に思いがけず長くいることになったのだった。
日本に向かうときは調子がよかったために、精神安定剤(眠るため)や鎮痛剤(頭痛と吐き気止め)を飲まなかったため、ほとんど眠れず、逆に着いてから非常に調子が悪かった。
なので、帰りはおなかの調子も悪いことだし、薬漬け(下痢止め、精神安定剤、鎮痛剤)で帰ってきた。
だから、いまの調子はまずまずです。

機内食も消化の悪そうなものは避けて、パンなどでしのいでいたにもかかわらず、カップヌードルはおなかの危険をおかしても、やっぱり食べずにはいられなかった。
ふだんはぜったいにカップラーメンも袋入りラーメンも食べないけれど、機内ではなにより楽しみにしている。
今回はうとうとしている間に� �り過ぎたのを呼びとめて、呆れる息子をよそにむっくりと起き上がって食べました。
(さいわい、おなかは無事でした。)

そんなこんなでいよいよあと数時間、というとき、こんなCA、いくらオランダでもありえん、というすっごいおばさん(八百屋さんか農家の人に見える)がゴミの収集に来た。
わたしがうとうとしていると、わたしの水のペットボトルをゴミ収集用の手袋でさわり、まだ入ってるからとそのままにしていった。
潔癖症なわたしにはこのボトルからふたたび水を飲むのはぜったいにムリ。
おばさんを呼びとめて言った。
「あなたがいま、このボトルにその手袋で触った。だからもうこれは飲めない。新しいのをください」
「ボトル入りはないから、コップでしか出せません」とちょっと憤慨し たおばさん。
「じゃあ、もういいです」とわたしはボトルをおばさんに渡した。

「なんか無神経だよね。KL、あんまりいいところないから、次回は別の航空会社にしようか」と夫と話す。
来るときにはエンターテイメント・システムが故障していて、11時間、映画も音楽もなしだったし、帰りに2時間、遅れたことに対する地上職員(日本人)の態度が横柄でひどいものだった。

わたしはべつにオランダ人の無神経さには慣れているので、気にしていなかったのだが、しばらくしておばさんが水をコップに2杯もって、現れた。
ちょうど夫のペットボトルから水を飲んでいるところだったので、「いらないよ」と答える。
「でも、ああいう作法はないと思う」というと、「お客さんが寝てると思ったから」
た� �え寝ていても、本来、勝手にお客さんの持ち物には触れるべきではないと思うが。
ごめんなさい、それにこれは汚い手袋じゃない、汚い手袋だったらぜったいに触らない、とかいろいろ言われて、わたしも「よくわかったから、もういいです。わたし自身もちょっとビンカンすぎるから……こうやってお水をもってきてくれてうれしかったから、気分もよくなった。ありがとう」と言っていた。

こういう人間的なところがオランダのいいところ。
ケンカ越しにならずにふつうに接したら、意外と気持ちのいい反応がかえってくる。


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何百人もツアーの日本人がいて、ほとんどなんの反応もないところで仕事をしていると、どうしても流れ作業的になってしまうのだろう。
いきなりオランダ語で文句を言い出す日本人客もいる、と思って、少しは慎重になってくれるといいな。
(どうせ、すぐ忘れちゃうだろうけど。)

なんだか、心に残る体験だった。
やっぱりちゃんと話すことは大切なんだ、という基本を確認した。

帰ってすぐにマテア、今朝はデヴィのところに顔を出して、鍵や郵便を受け取った。
彼女たちのおかげで日本でも安心していられた。

そんなこんなで、おなかがすいたので、いまからうどんでも食べます。
� �うすぐ午後1時。
日本で買ったTシャツでは涼しすぎて、なにを着ればいいかわからず10回くらい着替えた。
16℃のオランダより。

(トイレから出た息子が「トイレ、冷たい! 日本ではいつも暑かったけど」と言っていた。
わたしはトイレに入ってボ〜ッと暗闇に立ち尽くしてから、あっと気がついて電気をつけた。
日本の友だちの家のトイレでは勝手に電気がついたのだ。)

6月23日 仕事でお世話になり、尊敬していた方。
またお目にかかってお話しするのを楽しみにしていた方にもう会えなくなってしまった。

どうしても訳したくてたまらないものがあって、メールでいろんな人とやりとりして、オランダからアメリカを経由してその方にたどり着いた。
去年の東京ではじめてお目にか� �った。
わたしより一回り上の女性。
バリバリ仕事をされているのに、ぜんぜん威張ったところがなく、めずらしく同郷だということがわかり、話がはずんだ。

オランダのおみやげなんてあまりいいものはなくて、チーズは真夏に持ち歩けないし、コーヒーだったりフレーバーティーだったりするのだが、そのときはエルテンスープのカップスープだった。
「わぁ、うれしい! わたし、スープが大好きなんです。こういうの大好き!」とそんなものをそれは嬉しそうにしてくださった。
あんなふうにエルテンスープを喜んでくれた人は他にはいない。
意外な反応に、一気に親しみを覚えた。

その次、電話でお話ししたときには、また熱心に、如何においしかったかを語ってくださった。
オランダのものをお� ��やげにもっていっても、わざわざ感想を教えてくれる人はあまりいないので、とっても嬉しかった。

それから数日、「荷物にならないように軽いものを」と、今度は彼女のお気に入りのスープを滞在先に送ってくださった。
手紙にはわたしたちの故郷のスーパーの話題が書かれていて、あぁ、何十年も前、おなじスーパーで買い物していたんだなぁ、と不思議な縁を感じた。

手紙にはわたしを応援してくれる言葉と共に、「……努力したいと思います。」のような文面があった。

実はぼんやりのわたしは名刺をいただいていたのに、その方が社長さんだと知ったのは、何ヶ月もたって名刺をあらためて見たときだった。
えぇ〜っ、とビックリして、そうして社長さんなのに「努力します」という言葉はすごいな、と� ��銘を受けた。

社長さんだと気づかなかったわたしはたしかにマヌケだが、それは見方を変えればその人のすごさをあらわしている。

わたしはとにかくエラそうな人にピリピリと敏感なのに、ぜんぜんエラそうなところがなかった。
えらいのにエラそうじゃない人はほんとうにえらい人だ。
カッコいい。

その方に決めていただいた仕事がある。
お目にかかってお礼を言いたかったのに、もうできない。
ちゃんとお礼が言えなかったことを後悔しているけれど、この仕事を頑張ろうと思う。

さいごに日本から電話をもらって、うれしくて何度もお礼を言ったわたしの気持ちが伝わっていますように。

ありがとうございました。
頑張ります……わたしもあなたのような人になれるよう。

(明� ��からしばらく日本です。
7月中旬過ぎまで、みなさまお元気で。)

6月22日 Wij wilden voetballen, maar het is ons niet gelukt.
(我々はサッカーをしたかったが、できなかった)
――マルコ・ファンバステンはそう言っていた。

精神は肉体に勝る、ということを思い知らされる試合だった。

3連勝して、休養もバッチリで、「今日は(勝てそうな)いい気持ちだった」とファンバステンは言っていたけれど、ヘトヘトだったロシアチームの方が気持ちでは勝っていた。

「なんか上品だよね」試合を見ながら、ロシアの選手があまりアグレッシブな反則をしないので、そう言っていたのだが、それはどうやらフース・ヒディンクの人選にもよるようだ。

悪いところを指摘されて聞く耳をもたないような選手は、実力はあってもナショナルチームには適していない=最初からえらばないのだそうだ。
たぶん、そもそものそこがヒディ� �クの海外での成功の秘訣なような気がする。

ヨハン・クライフを〈ヨーピー〉と呼ぶ数少ないヒディンク。
彼の海外での成功の秘訣は? と聞かれたクライフはそれぞれの国独自のメンタリティーをよく把握した上で指導しているところ、と答えていた。

ヒディンク「オランダチームは20人もいい選手がいるけど、うちはせいぜい13人くらいしかいないからタイヘンだよ」
クライフ「フォーメーションがカンタンでいいじゃないか(笑)」
ヒディンク「そうだね、だれも怒った顔で見てこないからね」
みたいなやりとりもあった。

きのうはニュースでヒディンクの生まれ育った村に取材に行って、「ロシアかオランダ、どっちを応援しますか?」とインタビューしていた。
夫婦で「オランダ!」「ロ� �ア!」と意見が割れているところも。
1人だけ、この人だけは迷う必要がありません、とヒディンクのおにいさんが紹介されていた。
人のよさそうなおじさん。

ほんとうに、こんな田舎のおじさんが世界中でもっとも優秀な監督だなんて、不思議だ。
すごい人ってふつうに自分のやりたいことをきちんとやっている、ただそれだけなんだなぁ。

それに比べて、やっぱりオランダチームはメンタルが弱い。
やっぱりハングリー精神はだいじなんだ。

ポルトガル、クロアチア、オランダ、とBチームで3戦目に臨んだチームはすべて準々決勝で敗退した。
これは偶然? と聞かれて、みんなそうだと言っていたけれど、やっぱりそこにはメンタリティーが反映されている気がする。

彼らだってまちがいな� ��勝ちたいし、真剣にやっているけれど、〈もう一歩〉のなにかがそこに欠けていた。
敢えて言えば、イタリアとフランスにどうしても勝たねばならなかったときの〈気迫〉だろうか。

すべてを出し切らなければフランスとイタリアには勝てない。
なんとなくいい感じでロシアには勝てそう。

その心持ちのちがい?

ヒディンクがもう1度、オランダチームの監督になったらどうなんだろう? とふと思った。
彼は成功したサッカーの監督である以前に、コミュニケーションの達人なんだろうな。

いろんなことが考えられて、おもしろい試合だった。

モロッコ系のブラルーズ選手が早産でお子さんを亡くされたので、みんなが黒い腕章をつけていたことも印象的だった。
これでナショナルチームを去る� ��ァンデルサルは華々しいキャリアのさいごの数分に不甲斐ない点を2点も取られ、とても寂しそうだった。

スナイダーのバースデー・シュートで楽しく幕を開けたEKだったが、人生は厳しいな!
またがんばろう!

そんな感じです。

6月20日夜 今夜のメニュー。

*ニンジン、ジャガイモ、西洋ネギ、マッシュルーム入りクリームスープ
*パンガシウスのソテー、マッシュルームとニンニク・スライス添え(夫作)
*インゲンのバター炒め
*白いごはん
*トマトとキュウリ切っただけ

*デザートにネクタリンとスーシェ(ミニ・アイスシュークリーム)

ヴィクトーのためにいっしょうけんめい作った。
おいしいと言ってくれてよかった。

おいしい日本食を食べた記憶が残ってく� ��るとうれしいな。

泊まっていいか、と2人に聞かれて、どうしても余裕がないので、日本から帰ってからにしてもらう。
ギリギリまで忙しいし、荷物もまとめなきゃいけない。

できることはやるけどムリはしない、ということで、今日は食事だけ。

そして、またまたあちらに泊まりにいかせてもらっている。
またまた借りが増えてしまった感じ。

ヴィクトーに電話を代わってもらって、ヘルディンがいなかったのでアーリーと話した。
快く泊まりにいかせてもらえることに感謝。

ヴィクトーとトマ。
出会って、いまでちょうど丸10年になった。
4歳が14歳……
なんだかすごい。
ときに大ゲンカをしながらも、いまだに仲良し。
ふざけた会話の合間に、将来、どういう方向に進学� �るか、というマジメな話も混じったりしている。

この間も書いたけれど、まったくタイプがちがうことが、おたがいによい影響をあたえているのかも。

いつかは離れてしまうときがくるかもしれないけれど、この10年間、2人が親友だったことはなにがあっても変わらない。

しずかな家で、10年間のいろんな2人を思い出す夜だ。

6月20日 最近、眠くて、昨夜も書こうと思ってるうちに、息子と日本の写真を見ていて、終わってしまった。

いままで何回、日本に行ったか、考えてもすぐには思い出せない。

海外に住んでいて、日本人の心とか文化を大切に子どもに伝える人もいっぱいいる。
わたしはどちらかというと、息子にはオランダ人になってほしかった。
大ざっぱなたとえをすると、� �ズオ・イシグロのようなイメージ。
(作家ということじゃなくて、日本語が話せなくても、その国の人でいてくれればいい、という点で)
1世のわたしには限界があるから、自然とそこを超えてほしいと思って。

わたしはコテコテの日本人だから、日本のドラマを見るけれど、もう息子はいっしょには見なくなった。
わたしには日本人の感情が満ちあふれていて、抑えきれなくなれば自然と涙も出る。
あんまりだいじな感情だから、わたしには日本文化をこっちの人に伝えたい、という気持ちはまったくない。
っていうか、ヘタクソで伝わらないから。
わたしはわたしが少しはうまくできるオランダ語から日本語の翻訳をやっている。

日本文化を伝えたい! と思っている人にはぜひやってほしい。
ど� �ちも貴重なことだから、得意なことをやればいいと思う。

うちではどちらかというと意識的に、あんまり日本の行事とかはやらないできた。
わたしにとって大切な日本は行事とかじゃなくて、もっと個人的なメンタルなもので、息子にも同じことをしてきた。

いちばん大切に思っていたのは、おじいちゃんとおばあちゃんとのつきあい。
それをしっかり記憶にとどめてほしいな、と願って、何度も日本に行ってきた。

裕福にはほど遠いのだから、日本に行かなければ、物も買えるし、他のところにも旅行に行けるけれど、そんなのはずっと後でもいいような気がする。

息子はひらがなとひと握りの漢字しか書けないけれど、ちゃんとおじいちゃん、おばあちゃんと楽しくコミュニケーションできる。
そして� �そんな息子のおかげで、わたしも両親との距離が近づいた。

お金は残ってないけど、わたしたちはこれでいいのだ。

さてと、そうじのつづきをしよう。

息子は答案用紙を学校で返してもらってきた。
あとは月曜日に教科書を返したらおしまい。

ヴィクトーとあそびにいったので、晩ごはんにつれてきて、と言っておく。
このあいだ、ワガママでデザートなににする? と聞かれて、「日本のライス」と何度も言ってたから(結局、ケーキにしたけど)、白いごはんを食べていってもらおうかと。
忙しくてぜんぜんうちに来てもらえなかったから、バカンス前に来てくれるといいな。

6月18日 晩ごはんのあと、テレビの前で沈没。
夢うつつでNetwerkなどを見る。

リタ・フェルドンクが立ち上げ た党内でいざこざが絶えない模様。
問題つづきで、ちょっとオシャレになったリタが、また昔のネズミ男みたいな顔に見えた。
(まだ毎朝、鏡に向かって「おはよう」って声かけてるのかな?)

あとは自殺未遂をして保護が必要だったり、ラバーボーイの被害にあった女子が入る施設に空きがなく、犯罪をおかした未成年と共に刑務所の独房に入れられている、という話題もやっていた。


あなたは私の熱FEMAを与える

いろんなことで世界の見本のように言われることのあるオランダだが(子どもが世界一、しあわせな国、とか)、こんなひどい現状もあるのだ。
あんまり容易に一部を切り取って、参考にしないでほしいと思う。

うとうとしながらサッカーも見る。
いよいよ、オランダ対ロシア、ファンバステン対ヒディンクですね。

順当に勝ち進めば、日本ではじめてオランダの試合を見ることになる。
インタビューやクライフの解説が聞けなくて残念。

朦朧としている中、やっぱり今夜も突然、さんぽに行こう!っていうことになった。
(自分で自分に声がかかるのだ。)
体も精神も外の気持ちのいい空気でしゃきっと目覚め、次々にいいアイディ� �も浮かんできた。

仕事以外のいいアイディアとしては、愛用のウォーキングシューズを日本にもっていって置いてこよう、というもの。
母の教えで金の靴を2足、買った話を先月、書いたが、このウォーキングシューズもちゃんと2足、買ってあるのだ。
(超歩きやすいのに、12ユーロ!)

日本ではいっぱいおいしいものを食べて、ウォーキングもなるべくしようっと。

6月16日 息子の学年末試験も明日まで。
1日、1教科か2教科だけなんて、日本に比べて甘っちょろいな、と思ったけれど、内容がちがう。
オランダ語(国語)はなかったけれど、ラテン語、ギリシア語、ドイツ語、フランス語、英語を次々と暗記するのはべつの意味で、ほんとうにタイヘンそうだ。
「もうイヤだ!」と言いな� �ら、いっしょうけんめい、ギリシア語とドイツ語を暗記している。

そんな忙しい息子に今日も編集者に送るメールをチェックしてもらう。
いつもほとんどまちがいはないのだけれど、今日はちょっと恥ずかしいまちがいがあった。

息子には言葉、夫にはコンピューター、お世話になってばかりの無能な母。
母は月に1度の痛みを押してぼんやりとアルバートハインに買い物に行った。
帰ってきて、買い物袋を開く夫が「インゲン!?」
つづいて「ニンジンは!?」

……山のようにインゲンを買ってきたら、冷蔵庫にも山のようにインゲンがあった。
「ニンジンはもう買ってあると思った」
「だって買い物リストに書いてあったでしょう?」と夫。
「見てないもん。もっていったけど、見てないもん� ��
買い物リストが機能していないわたし。

そんな日々の生活がいとおしい。
今朝、起きて、あぁ、あと1週間だ、と思ったら、このオンボロな生活がいとおしく思えた。
たった3週間で帰ってくるのだけれど、いつもちょっぴりセンチメンタルになる。

マテアに電話して、郵便のことなど頼む。
腰の調子がとても悪そうなので、他の人に頼んだ方がいいかと思ったけれど、大丈夫! と言ってもらったので、頼んでおこう。

頼ったり、頼られたりの関係を大切に。

そして、来週はいよいよ――日本だ!

6月14日 ハードディスクが認識されなくなったわたしのノートパソ。
夫が開けて、同じ型のハードディスクを買いにいって、すべて復元してくれた。
新しいのを買うはずが、50ユーロで 済みました。

それもタイヘンそうではなく、いままでの知識を試すチャンス、と楽しんでやってくれた。

いやはや、もうすっかり夫には頭が上がらない。
これからケンカしても、(この人はパソコンを直してくれた人)と思えば怒りも静まりそう。

きのうのサッカーでシュートを打たれても打たれてもはねのけるファンデルサルを「魔術師だ!」と解説者がさけんでいたけれど、わたしも夫を見てそんな気分だった。

そして、息子は今日、自分でiPod nanoを買った。
(エアマイル4000点で割引になった。)

絵に描いたティーンエージャーのようにウルサい音楽が好きな息子。
絶叫してて騒音としか思えない音楽を聴きながら毎日、シャワーを浴びる。
ケイタイには入りきらなくなって、ついにiPodご購入。
さっそく使いこなして、You Tubeにアップしていたヴィクトーと撮った動画なども取り込んでいた。

こんな小っちゃいモノでそんなことができるのか……

「いやぁ、頼りになる男の人が2人もいて、さきちゃん、うれしいなぁ」というと、
「自分がよっぽど不憫な人間なだけかもよ」とオランダ語で言われた。

昭和時代のわたしにできることは、水炊きの残り物のスープでお昼においしい雑炊を作るくらいだった。

雑炊を食べながら、「わたしがパパにしてあげられることってなにかあるかな?」と聞くと、
「そりゃあいっぱいあるでしょう……冗談を言って笑わせてくれるとか」

わたしが1人で言って、1人で大笑いしてるメイワクな冗談?
してあげられること……なさそう。

とりあえず、わたしからの離婚はないでしょう。

きのうのサッカーも気持ちよかったですね。
取られたらすぐ入れ返す……
そんなオランダをはじめて見た。

ファンバステン、前回のEKでは点が入ってもクールにしてるのがカッコよかったけれど、今回のいっしょによろこんでいる姿はもっとずっとステキだ。
髪も短くして、喜びも外に現すようにして……
明るいイメージは選手にもいい影響をあたえると思う。

そういえば、きのうはヤン・ペーター(・バルケンエンデ)も観にきていた。

政治家などのエライさんたちが券を買い占めてしまうので、ふつうのファンがますます券を手に入れにくくなって困る、というニュースをやっていた。
なんだか不公平。

試合後、更衣室までおじゃましたらしい。
選手たちから大歓声がわきおこり、中には 「税金を低くしてくれ!」という叫び声もまじっていたとか。

「6月29日はいまから予定を空けておくから! と言ったら、大喝采になった」とうれしそうに話すバルケンエンデだった。

6月13日 とうとうパソコンが壊れた。
夫がマメにバックアップしてくれていたので、消えちゃったのは10日分のメールくらいで済んだ。
夫のありがたみが身にしみた。

デジカメ、携帯、テレビ、パソコンがたてつづけに壊れてビックリ、呆然。

とりあえず、今日はサッカー終わったら、感想は書かずにすぐ寝ます。

6月11日 夫と息子がテレビを担いできてくれた。
あんなにあれこれ悩んでたけど、終わってみたらあっけなかった。

いやはや、テレビを買うのは15年ぶりだったから、すっかり時代に� �り残されていた。

安くでこんなモダンないいモノが買えるなんて、オバサンは知りませんでした。

ギルダーがユーロに代わったとき、スーパーのナスが高くてビックリしたのとおなじくらい、こんな値段で買えることにオドロいた。

あ〜、風水じゃないけれど、たまには新しい物を買うことも必要かも。

息子はさいごに名残惜しそうに黄色のテレビをつけて、お別れしていた。
明日はニガテな数学の学年末試験だけど、いろいろ手伝ってくれてありがとう。
パパもありがとう。
わたしもありがとう。
みんなで力を合わせて買ったテレビ、うれしいね。

そして、黄色いテレビで〈オランダ、30年ぶりにイタリアに勝利!〉を観たことも、家族の歴史としてずっと記憶にとどめておこう。

6月1� ��日 今日はちょっとのんびりめに仕事している。
郵便局に行かないといけなかったので、ついでに朝からアルバートハインへ。

午前中はいつも必死で翻訳しているので、買い物は夫が休みの日に行ってもらうのがほとんどで、わたしが行くときは夕方バタバタと……という生活がずっとつづいていた。

のんびりカートを押しながら、いつもよりちょっぴりおいしそうなものをえらぶ。

コリアンダー(アルバートカイプの市場のとちがって、スーパーのはほとんど香りがないのだが)、アイスクリーム(アルバートハインのキャラメル・クッキー)、オーブンで焼いたという70%脂肪分の少ないチップスなど。

いつもは早めに晩ごはんを済ませ、食べた分は歩いて、禁欲主義者のように1日を終えるのだが、EK� �ヨーロッパ杯)中はチップスやアイスクリームも解禁ってことで。

マルコ・ファンバステンとJohn van 't Schip(ファン・バステンの親友で右腕)が2人共、丸刈りになっている理由はわからないけれど、やっぱり意気込みのようなものがあるような気がする。
勝手な思い込みかもしれないけれど……

やっぱりタダモノじゃなかった。
ファンバステンのさいごのEKはオランダの歴史に残るものになった。

あの、ぴょんぴょん跳ぶ姿、何回も見られるといいな。

それにしても、テレビ……
きのうはずっと黄色くて。
「えっ、イタリアのユニフォームって緑だった?」といって、テレビガイドのリストを見て「青だよ!」と確認する始末。

オレンジ軍団のおじさんのほっぺたになぜだかイタリアの国旗が描かれていて……
「なんでイタリアの国旗、描いてるんだろうね?」と話してたら息子が、
「テレビが� ��色いからイタリアの国旗に見えただけじゃん!(笑)」

どんな生活!?

すぐに買おうとお金も用意してあるのだが、配達が2週間待ちとかで、バカンスの直前に来てなにか問題があったら困るから、とグズグズしてるうちにこんなことに……

でも、そんなことに関わらず、いまのオランダチームはみんなのバランスがよくて、とてもいいものが流れている。
わたしも買い物したり、コリアンダーをのせたパスタの味を考えたりするだけで楽しいし。
黄色いテレビくらいどうってことないさ! という気分の午後です。

(そういえば、イギリスの新聞にはスナイダーの2番目のシュートを〈地獄からきたコウモリ〉と例えていた、とヤン・ムルダーがうれしそうに書いていた。
ディック・アドヴォカートが監� ��だったときには「石を投げて殺せ!」と問題発言をしたムルダーも、これでファンバステンのことは悪く言えないだろう……?)

6月9日 歴史的な夜。
オランダがイタリアに30年ぶりに勝ちました!
しかも、3−0で!
世界チャンピオンから!
みんなビックリ。

2番目のゴールを決めたスナイダーは今日が24歳の誕生日なのだそうだ。
3番目のゴールを決めたジョヴァンニ・ファンブロンクホルストは長老で、ず〜っと縁の下の力持ちで地味な存在だった。
「自分がいつかこんなゴールを決めるなんて、考えたことがあっただろうか!? もう引退してもいいんじゃないか!?」みたいなことを解説者が言っていた。
そういえば1番目のゴールを決めたファン・ニステルロイはファン・バステン� ��合わなくて、オランダ代表、1度、やめてたはず。

みんな、ほんとにおめでとう!

マルコ・ファンバステンがぴょんぴょん跳び上がって喜んでる姿もはじめてだった。

イギリスの国内リーグで優勝、チャンピオンズリーグでも優勝してノリに乗ってるファンデルサルは今日も抜群の守りを見せる。
「そろそろ女王から勲章を授かるべきじゃないか!?」と解説者。
まちがいなく、そうなるだろう。

見ごたえたっぷりの試合。
なんだかいつもとちがうオランダチーム。
団結力、チームワーク、バランスがよくて、見ていて気持ちよかった。
これからも見逃せない!

6月8日 昨夜はヘルディンのおごりでユルヘン・ライマンのショーを観にいく。
ヴィクトーの誕生日だったので、いつもの4人 で。

まずライツェのワガママに行く。
わたしは3回目。
きのうはじめて、ワガママの良さがちょっとわかった。
はじめて、日本人の友だちとラーメンを食べにいったときは、??だらけの味だったが、前回、ヘルディンたちと食べた焼きうどんはけっこうおいしかったので、わたしはまた焼きうどんにした。
子どもたちはラーメン。
息子はぜんぶ食べ、ヴィクトーはスープの中でラーメンの山を作ってあそんでた。
新鮮な赤唐辛子がたっぷり入っていて、とんでもない辛さ。
ぜんぶお箸ですくって外に出していた。

ヘルディンはソバっぽい麺にイタリアンの野菜たっぷりソースがかかった、とっても不思議なものを食べた。
ぴりっと辛くてちょっとつらそうだったけど、おいしいって言ってた。
� �見させてもらったけど、なかなかおいしく、家で真似してみようと思った。
ソバにイタリアン……フュージョンだ。

わたしの焼きうどんも、みんなの食べたのも、野菜がたっぷりでとてもヘルシー。

ロンドンではじまったワガママ。
たしか、ロンドンのレストランのランキングで、1番人気にえらばれていた。


中国人がやっている怪しげな物真似日本レストランとはちがって、これは新しい文化だ。
だだっ広い店内でみんな黙々とお箸で食べているのもおもしろい光景。

本物の日本食は家で。
ワガママでは雰囲気とヘルシーフードを楽しむ。

なんだか、またすぐにでも行ってみたくなった。

そして劇場へ。
お茶を飲んでいたら、となりのテーブルに去年のクラスメートだったステイフェンがいた。
留年してしまったけど、うちにも何度か来たことのある子。
おかあさんに「何度か話したことあるよね?」と言ったら、「ないわよ。それ、わたしの妹!」
おとうさんが代わった? と思ったら、おばさん夫婦に連れてきてもらってたのだそうだ。

そして、ライマ ンのバックでキーボードを弾いていたのは、うちの小学校にいたヤイールくんのおじさんなのだそうだ。
なんだか、世界が狭い。

内容は、離婚して子どもにも会わせてもらえない躁鬱病の男が机の上に並べた薬を次々と飲みながら、怪しげな仕事で作ったお金をどうやって世界の役に立てられるか、考える、っていう感じ。
そこにスリナム風(ライマンはスリナム人)の過激な下ネタが織り交ぜられている。
さいごに素にもどったライマンのメッセージは――

オランダでは4人に1人の人はうつ病に悩んでいる。そういう人たちが社会の隅に押しやられているが、ちゃんと周りが気にかけてあげたら、十分、働けるのだ、っていうことと、

ユニセフに寄付しよう、ということだった。

内容、かなりむずかしく て、いっしょに笑えないところもいっぱいあったけれど、楽しめた。
ただし、映画とちがって周りが笑ってるときに取り残されないよう、ず〜っと神経を集中してるから、かなり疲れる。

終わったあと、ホールを出たら、あちこちに無料のドリンクが置かれていた。
よく冷えたオレンジジュースがおいしかった。
ワインやいろんなジュースが全員分、たっぷり用意されている。
スリナム流のおもてなしなのか……
うれしい心づかいだった。

ヘルディンと、「オランダの子どもが世界でいちばんしあわせなのに、大人になったら4人に1人、デプレッシブなんておかしいよね」ということから、学校選択のシステムの話など、あれこれ話しながら帰ってくる。

ヘルディンはオランダのシステム以外は知らない から、これでいいと思ってる人なので、どうも歯がゆい。
まぁ、ちょとはわかってくれたと思うけど。

なんだろう、ず〜っと10年間、子どもをとおしてつきあってきて、いまはやっぱりちがうなぁ、と感じる。
その差はぜったいに埋まらないと思う。
まぁ、考えてみれば、たいていの日本人ともわたしの子育て観はまったくちがうくらいなのだから、そんなの当然だ。

でも、ヘルディンはずっとわたしたちを大事に思ってくれていて、きのうも「いま、2人は14歳――トマももうすぐ14歳だから……いまから14年後にまたここにみんなで食べにきたらどんなふうになってるだろうね?」と言っていた。
わたしは60前でヘルディンは70前……
すごい感じ……

ヴィクトーと息子がまた見事に正反対 なタイプで、あんな小さいときに出会ってなかったら、友だちにはぜったいなってなかったと思う。
スポーツ大好きで、1人ではまったく楽しめず、余暇をすべてスポーツで埋めてるヴィクトー。本は一切、読まない。
1人でかぎりなく楽しめ、本なしには生きていけない息子。

頭1つ息子よりデカいヴィクトーはなんでも息子のマネをする。
自分が買ったものをなんでもマネして買われるので、息子はウンザリしている。
この間はケータイにプリペイドの度数を入れるやり方がわからない! と電話がかかってきてた。
「いままでやったことないの? 変わってるね」と呆れながら、息子は教えていた。

それでも、幼なじみだから、やっぱり誰ともちがう特別な関係。

14年後、おばあさん2人と青年2 人でまたワガママに行けたら、それはそれでおもしろそうだ。

6月5日 今日は医療関係が専門の友人と話していて、下に書いたことが如何に表面的だったかがわかった。

テレビでは一言も、誰も言っていない事実がたくさんあるのだと知った。

わたしは息子の妊娠中、たとえ障害児だったとしても育てようと確信をもっていたけれど、いまテレビで見ていて、自分自身も母親も乳がんで苦しんだ人が、娘にその苦しみを与えたくないという気持ちから、そういう処置を望む気持ちはわかる。
それは、障害児は育てたくない、という利己的な考えとはちがい、母親としての当然の気持ちだと思う。

でも、そういう操作が医学的に見て、生まれてくる人間の一生にどういう影響を及ぼすかまでは、いま現在はわからな� ��。
だから、安易な操作は恐いのだ、ということを知った。

わたしはテレビなどからの情報だけをすぐに鵜呑みにしているんだな、と思った。

なんせ、わたしはテレビの新製品がなんでもおいしそうに見えて、すぐに買ってくるタイプ。
テレビで「おいしい!」と言ってたものがまずいはずがない、と信じて、いきなりベジタリアンの新製品を1パックでなく3パックも買い占めてきて、しょっぱすぎて家族のヒンシュクを買ったこともある。

いちばんカンタンに引っかかる消費者。(安いものだけだけど)

もっと多角的な物の見方をしなきゃ、と思った。

そして、きのうはまたまた息子がいない間に夫婦ゲンカをして(子はかすがい、とはよく言ったもの)、こんなんでやっていけるんだろうか……? � �思っていたところだったのだが、なぜかタイミングよく前回のケンカにつぎ今回もその友だちに話を聞いてもらい、すっかり気分が変わった。

夕方からは夫もまじえて、3人で笑って話したおかげで、重苦しい気分も吹っ飛んだ。

やっぱり、2人だけで向き合ってると煮詰まってしまうから、他人に正直に話すのがいい。

すべての人の結婚生活がタイヘンなのだから、べつに恥ずかしくない。
おたがい、話したり、聞いてもらったりしながら、やっていきたい。

聞いてくれてありがとう!

6月4日 配偶子のことについて、ちょっと書き直しました。
ニュースで聞いているだけだから、はっきり理解はしていないと、書いているとわかる。
そして、わたしと同じようにあまり知識のない人たちが国会で� ��論していることが問題なのだ、もっと現場の専門家を尊重した方がいい、という意見も聞こえてくる。

キリスト教民主党(CDA)はオランダを代表する政党だけれど、キリスト教同盟が内閣に入ったのは現内閣がはじめてなのだ。
不穏な宗教的空気がうっすらと感じられ、気味が悪い。
宗教的視点の一点張りで、他の意見が存在しない世界の人が内閣に入りこんでいるなんて……

この内閣だけで消えていってくれますように。

昨夜の討論番組(パウとウィッテマンが夏休みに入ったので、Knevel & Van den Brink というコンビに代わった)でその話題をやっていて、車椅子に乗った人が「神はぜったいに過ちをおかさない。世界が(配偶子選択などで、病気や障害をもっていない)カンペキな人間だけになってしまったら、人はなにも学べない」と言っていた。

神は人間がそこからなにかを学ぶように病気や障害をもった人を創っているのだ、という考え方。

ならば、人間が科学を学び、配偶子選択が可能になるようにしたのも、ぜったいに過ちをおかさない神だ、と考えることもできるのでは?

現に、さまざまな病気の治療法が見つかったおかげで、昔は死ぬしかなかった病気にかかっても、生きつづけることが可能になっているのに。
それは神が望むところだけれど、生まれる前に病気の芽を摘むことは神は許さない、って誰� �決めるの!?
誰かが神にインタビューでもしてこれるのか。

どこまでは許されてどこからはダメか、という線引き、むずかしいし、正しい答えはないのだと思う。

いま、問題になっているのは、〈100%に近い乳がん〉の先にはかならず、〈40%〉や〈50%〉の可能性と向き合わないといけなくなる、そうなるとどこまで選択していいか、歯止めが利かなくなる、ということだ。

現実に、ダウン症だとわかったら産まない選択ができる世の中で、将来、乳がんで苦しむ要素を(胎児ではなく)配偶子の段階で取り除くことはそんなに悪いことなのか……

素人なりに興味深い問題だ。

6月3日 疲れすぎて、昼寝しなきゃと横になったけど、神経がぱきっと尖っていて眠れなかった。
ヨガ、行くのめん どくさいけど、ほぐれるといいな。

とある出版社から箱いっぱい本が届く。
本、いっぱいもらえて嬉しいし、頼りにしてもらえるのも嬉しい。
ようやく、それらしくいい感じになってきた。
体1つしかないけど、壊れないように頑張っていこう。

オランダチーム、スイスへ出発。
前回のヨーロッパ杯ではマルコ・ファン・バステンの大ファンだったわたしだが、とっくに熱は冷めている。
丸刈りにしたファンバステンがますます村上春樹に似て見える。

配偶子選択がいま大問題になっている。
遺伝性の乳がんに将来なる配偶子を、体外受精の段階で選択しないようにする、という操作が政府与党のキリスト教同盟の反対にあっているのだ。

人生で100%にかぎりなく近く、乳がんになって苦しむ ことがわかっている親子がいるのに、仮面のような顔をして「遺伝子操作はダメ」というキリスト教系の政党は恐いと感じた。

男の子や女の子をえらんで産むのとはちがう。
こういうことにこそ、科学の発達を利用するべきだと思うけどなぁ。

こんなモダンで世界に先駆けた安楽死や同性婚が法的に認められた国なのに……
それでもやっぱり宗教が政治に関わっているんだ。
なんだか不思議。

ちなみに、同じく与党のキリスト教民主党の支持者の大多数は、それを認めているそうだ。

疲れていてうまく説明できずすみません。

6月2日 いよいよ学年末に入った。
今年は夏休みが早くはじまるので、もうまともに授業があるのは今週だけ。
来週は月火が授業で水から試験週間がはじまる。(翌週� ��曜まで)
その後はもう授業はなくて、たまにちょろっと学校に行くだけ。
夏休みまでにわたしが1日、1人でいられる日は片手で数えられるほどになってしまった。

まぁ、このままいけば、数学だけ不可で3年生になれるかな。
なんせ、高校の模擬試験で100点満点で0点を取ったこともあるわたしの子どもだから、数学ダメでも仕方ない。
(いっぱい書いたのに0点って!? ふつう5点や10点は取れると思うが……)
その代わり、語学はどれもまったく苦にならないようで、家のあちこちにぽちょんと置いてある折りたたんだ答案用紙を開くと――
ドイツ語 9
ギリシア語 9
英語 9

一瞬、そうじの手を留めてにっこりしてしまう。
(たまに、ドイツ語 2とかもあって、驚かせてく れる。数学 5とかだとよかった〜とホッとする。
……1年間の平均が5だったらふつうに進級できるのだが、3とか4だと夏休みに課題が出たりするのだ。)

あ〜、数学のない世界で暮らしたい。
(息子の数学ダメっぷりを見るだけで、トラウマがよみがえる。)

それにしても暑くなったり寒くなったり激しいですね。
週末に街に行ったときには寒くて鼻風邪を引きかけたのに、今日は27℃。
明日は出かけないといけないから、涼しくなってほしいなぁ。
(今日は出かけないんかい!?
……学校から汗びっしょりで帰ってきた息子にヒンシュクでした。)

 



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