2012年5月18日金曜日


23-42大分高架・高千穂視察計画(平成23年度第5次九州視察計画)における、原尻の滝

原尻の滝

場所 32.964234,131.45103 - Google マップ

 こちらも、ナイアガラのような滝である。今まで滝と言われれば、那智の滝のようなものを想定していたが、こういうのも我が国にあるのを知った。

2012年5月16日水曜日


※ 2010-03-07 22:40 一部を加筆修正しました。文意に変更はありません

1985年8月12日、大阪伊丹空港行、日本航空123便を撃墜させた原因について考察する「そしてミサイルは発射された」シリーズの続編です。このブログを初めて読まれた方は、「ミサイル説って本当なの?」と思うかもしれません。本ブログにおいては、現場で採取した数多くの物証を示すことで、ミサイル発射の有無の議論は既に終了しており、今や、どの軍事勢力がどのミサイルで同機を撃墜したのかに論点が移っています。

ちょっと着いていけないと思われる方は、まず「そしてミサイルは発射された」シリーズ、および「オバマ大統領訪日によせて」をお読みください。できれば、全記事を読んでいただくとありがたいです。日航機事故の全容を簡単に説明すれば、「軍事物� �を輸送していた123便を巡る、日米ソの軍事衝突」となります。こんなのでいいのか!?と思うくらい、事の表層については明瞭なのです。この'事故'、というより'事変'のもう一つ重要な側面は、日本国政府(あるいは裏政府・軍産複合体)がとった以下の行動です。

 ・多くの生存者を見殺し、惨殺、あるいは拉致連行したこと
 ・虚偽の事故報告を行い、全国民を欺いたこと

以上は、犠牲者及びそのご家族だけでなく、政府を信任する全ての日本国民に対する重大な裏切り行為です。政府がとったこの歴史的とも言える背信行為に対して、私たち国民は次の点を明らかにしなければなりません

 ・日航機に積載した軍事物資(BF4=毒ガス原料・核弾頭)の行き先・輸送目的
 ・なぜ民間機で軍事物資を輸送したのか
 ・なぜ生存者を殺害してまで秘密を守ろうとしたのか
 ・官庁・大学・マスコミをねじ伏せた権力の正体は何か(裏政府、軍産複合体?)
 ・なぜ米国政府、ソ連(現ロシア)政府はこの件で沈黙しているのか

この他、S氏や私の取材を執拗に妨害し、時に殺害行為を仕掛けてくる国営テロ集団(国賊)と上記権力機構との関連、彼らの関与が強く疑われる、一連のオウム事件、グリコ・森永事件、また古くは三鷹事件、下山事件、松川事件など日本の怪事件(*1)とこれら権力機構の関連についても、日航機事故の真相解明を機に、国民に広く真実が知らされるべきです。

[*1]日本の怪事件:これを言い出すと、「福知山線脱線事故」、「神戸連続児童殺傷事件」、「和歌山毒物カレー事件」など、キリがありません。関連があるにせよ、ないにせよ、これら疑わしい事件については再検証するくらいの取り組みが求められます。

■現場に散乱する核弾頭

まず、現場 で発見された機体破片から、これまで国際軍事評論家のB氏が判定した機体のリストを以下に提示します。

・RC-130
・RC-135
・F-106(黒い機体)
・F-117
・CH-46
・UH-1H
・F-4EJ
・Mig-25
・その他判定不明の航空機、戦闘機類(複数)

以上が発見されたことから、この地(御巣鷹の尾根一帯)でたいへんな空中戦、地上戦が勃発しただろうことは以前お伝えした通りです。B氏はこれにさらに分析を加えます。

2012年5月15日火曜日


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2012年5月12日土曜日


 もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
 生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
 なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
 本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
 1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてましょう。


(1)「なぜ生きるか」  問われている時代

「あなたの家族が、自殺しようとしたら、どう言って止めますか」
 こう聞かれ、自信を持って答えられる人は、どれだけあるだろう。

 平成10年の自殺者は、急激に増加し、初めて3万人を突破した。1日あたり約90人も自殺している。自分の家族や友人に、いつ、自殺者が出てもおかしくない。いや、自分自身が、何か大きな障害にぶつかった時、果たして、大丈夫だろうか?
「死んではならない。生きることが尊いのだ!」 と子供に叫んでいた大人が、次々と自殺していくのは、一体どうしたわけか。

 平成11年、日本を代表する評論家が手首を切って自殺し、世間を驚かせた。
 校長先生の首吊り、飛び降り、割腹自殺も相次いで報じられた。
 警察官がピストル自殺、エリート官僚が飛び降り自殺、政治家が首つり自殺……。
 どんな"偉い人"も、分かったつもりで、まったく分かっていないのが、人生の目的「なぜ生きるか」の答えではないだろうか。

 新聞の投書欄には、子供たちの、"心の叫び"が寄せられている。

●千葉県・高校二年生 「着たくもない窮屈な制服着せられて、受けたくもないつまらない授業を受けさせられて、やりたくもない部活やらされて、家に帰っても宿題とか家事とかいっぱいあって、だーれも生きた心地なんてしてないのに『命の大切さ』なんて口先だけで教えられたって実感なんて持てない」(朝日新聞・平成10年4月20日)

2012年5月11日金曜日



両親と、両親の友人夫妻の訪米記の続きです。

モーガンタウン市(Morgantown)で昼食を食べたあと、モーガンタウン市の二つ隣り町、ナッシュビル市(Nashville)で午後を過ごしました。

ナッシュビルも、モーガンタウンに負けない、人口1、000人ほどのスモールタウンです。

ですが、ふつうの昔の暮らしを営むモーガンタウンとは異なり-

 ナッシュビルは、観光地。 

州都インディアナポリスから55マイル南下したところにあり(地図)、
インディアナ州のガイドブックに必ず載る、 名所の一つ です。

雑誌「中西部の暮らし(Midwest Living)」(2007年6月)では、5ページ特集が組まれ、また 「中西部のスモールタウン100選」で6位にランクイン。 

この雑誌は、図書館やスーパーの雑誌コーナーで見つかります。

最初、インディアナに移り住んだ時、ここに遊びにいくよう、アメリカ人から勧められました。 

丘あり森林ありの壮観さが楽しめる町でもあり、また、同じ群(County)内にある、ブラウン・カウンティー州立公園(Brown County State Park)は、インディアナ州で一番大きい州立公園です。ハイキング・乗馬などが楽しめ、紅葉が見事なので、秋は混雑します。

ナッシュビルは

「中西部の芸術家村(The Art Colony of the Midwest)」 

ともよばれ、芸術家たちが各地から移り住み、創作に励む所でもあります。
森林の隠れ家のようなところにアトリエ/スタジオを持ち、作品をダウンタウンのお店で売ります。

印象派画家セオドア・クレメント・スティール(Theodore Clement Steele。通称、T.C.Steele)氏が芸術家として最初に移住し、芸術家たちの村づくりが始まったそうです。T.C.スティール氏を記念し、この方の家やアトリエ/スタジオ見学のガイドツアーもあります。有料ですが、数ドル単位です。(詳細はこちら

このため、ダウンタウンは、道という道、路地という路地、工芸品のお店がひしめきます。合計250店ほどあるそうです。
絵画、陶器、ガラス、布、皮、アクセサリー、置き物、小物、家具、アメリカ原住民達にちなんだ工芸品、園芸品・・・ありとあらゆる独自の手作り作品があります。

女性には、楽しいところです。 

2012年5月9日水曜日


こんにちわ(^^)
ただいま、わたしは信玄餅を食べながらカウントダウンTVリピートを見ていました。BOOWYのビデオを見て、ふと思ったのですが、みなさんの「伝説のミュージシャン」は誰ですか?

伝説なので、
●バンドの場合は、もう既に解散もしくはメンバーの死去で、現在存在しないもの。
●ソロのアーチストの場合は、死去もしくは引退、または俳優に転向された等で現在活動をしていない人

2012年5月8日火曜日



<「ワンコの気持ち的」犬の十戒>

犬は、身近で人間と特別な関係の動物です。 その一途さは、私たちの心に響くものがありますよね。
有名な「犬の十戒」をワンコの気持的にアレンジしてみました。(オリジナルが作者不詳なのでお許しあれ)

<ワンコの十戒>

  1. 私は、貴方を生涯愛することを誓えます。
     でもそれは、十年から十五年の時間しか許されていないのです。
     もし、貴方が、私をお家に連れて帰ってくれるのなら、その限られた時間を忘れないでください。

2. 貴方が、私に何かして欲しいことはわかっています。
   でも、すぐには出来ないのです。困った顔をしないで、時間と優しい笑顔を下さい。

2012年5月7日月曜日


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2012年2月1日

ネガティブな思考の影響、恐れの排除、光の進展の証拠、本格的な改革の遅れの理由、世界的な"ハム音"の原因、チャクラ、新貨幣制度、科学対宇宙の現実、第五密度のセックス、神と女神

1. マシューです。この宇宙領域にいるあらゆる魂たちからこころからのご挨拶をします。たくさんのライトワーカー(光の使者)たちが地球の黄金時代の開花への移行段階を確信をもって心待ちにしている一方で、光の存在たちの情報を完全に信頼させるような揺るぎない証拠があるまでは、言わば様子見をしている人たちがいます。またあなたたち人類の大多数は、今年が終わるときには平和と協調と自然と調和した暮らしが始まる新しい素晴らしい時代への入口にいることなど夢にも思っていませんから、軍事的� �嚇や厳しい経済予測、自由を束縛する新しい法律や政策が発表されるたびに不安が増しています。

2. 70数年前地球のアセンションが始まったとき、ネガティビティ(破壊的エネルギー)が人々の集合意識を占めていました。はるかかなたのパワーある宇宙人たちから地球に送られた光に一人ひとりが反応し始めると、集合意識がポジティブな方向に向き始め、あなたたちの時間でこの過去10年間で光は第四密度に向う惑星地球のコースを確実に、遅れることなく持続できる量に達しました。それ以来光はその強さをさらに増しつづけ、同時にますます多くの人々がこころと精神を開き、それに合わせて集合意識が高まっています。ネガティビティ(破壊的エネルギー)はその足場を失い、ポジティビティ(創造的エネルギー)が 圧倒的に優勢になっています。

3. そうは言っても、ネガティブな考えに対して自動的な免疫があるわけではありません・・そして恐れはそのすべての根源です・・その考えがその人のエネルギーの中心にあると、その影響力は大きくその人にとって困難な状況をつくり出すほどになります。恐れを意識的にコントロールはできないと書いて来たある読者が、「それはまるで血液の流れを止めなさいと言うようなものです」と比較しました。僕たちはそれを換えて、「ポジティブな考えを血液のように自然に流れるようにしましょう」と言います。

4. 思考は感情よりもほんのわずかに先行しますが、状況への思考とそれに対する反応が同時に起きるように見えるので、そのようには感じません。あなたたちがある状況を恐いと思� ��瞬間、その思考は自然な反応をもたらします・・恐れの感情です。起こりうる状況の成り行きに思考がとらわれると、それにつづく恐れの感情が力を増して来るのです。

5. 宇宙の引き寄せの法則は、あなたたちの欲しないもの・・ネガティブなもの・・から、あなたたちの欲するもの・・ポジティブな性質のもの・・を区別することができません。それはあなたたちがエネルギーを集中させるものをすべてもたらすように常にはたらくのです。それがある状況の恐れていること・・たとえば、多くの人々の関心の的であるお金がないこと・・への集中だとすると、宇宙はそのお金がない状況を継続することしかできないのです。なぜなら宇宙にはあなたたちが欲しいのは十分なお金でそれがないことではないと推測して理解する能� �がないからです。あなたたちにはあなたたちの考えを変えるパワーがあります。私には必要なものをすべて買うお金があると思い、感謝することが宇宙の流れを起動させ、それを現実にするでしょう。

6. 恐れはまた、放射能やケムトレイル、ワクチン、劣化ウランなどによる長期的なからだへの影響といったどうしようもない状況をもたらします。ですから、そのような心配は必要ありませんと前のメッセージで僕たちが言っているのです。なぜなら、低い波動エネルギーレベルでのみ存在するそれらの有害な影響は、第四密度の高い波動エネルギーの中では共存できないほかのあらゆる低い波動エネルギーのものと一緒に消滅させられるからです。地球と一緒に第四密度へ進む人たちは全員そのような有毒物質とほかのあらゆる病 気そして障害による影響を癒されるでしょう。

2012年5月5日土曜日


春さんのひとりごと

いつか帰る 愛の故郷

このサイゴンで、私や私の友人たちと親しくお付き合いさせて頂いた一人の日本人が、三月末に日本に帰られることになりました。日本での新しい仕事が、また始まるからでした。

その人とは、 SB さんのことです。 SB さんは三年四ヶ月ほど前にベトナムに来られ、 Binh Duong( ビン ユーン ) に千坪の広大な喫茶店・ Gio va Nuoc( ゾー バー ヌック:風と水 ) を開かれましたが、そこでは主に経理を担当されていました。

日本でも経理畑を長い間歩かれて来ましたが、このベトナムでも、ゼロから始めたその喫茶店の経理のシステムを作り上げることに力を入れられました。今回の新しい仕事も、日本、そしてこのベトナムでの経験豊富な経理の知識と、深い識見を日本の会社から請われてのことで、日本での新しい仕事は経理部長の職に就かれるということです。

SB さんは私たちといつも 「ベンタン屋台村」 で話していた時に、ベトナムでの初期の苦労話をいろいろと話されました。それはベトナムで実際に会社の設立に加わり、そこの経理システムを自分で創り上げ、日々の「経理」という地道な作業をこなす人でないと見抜けないような、面白い体験談でした。

ある日、 SB さんがベトナム人の部下を伴い、喫茶店の開設に伴う必要な材料を、一枚のメモ用紙に書き込んで、スーパーに買出しに行きました。そのメモ用紙に書かれていた必要な材料を買い終わり、いざレジで清算しようとすると、ベトナム人の部下が「ちょっと待っていて下さい。」と言って商品棚まで行き、両手に何か持って帰って来ました。

( もう全て必要な物は買い終えたはずなのに・・・ ) と SB さんは怪訝に思い、「それは何だ?」と聞きますと、「チューインガムです。」とその部下は答えました。 SB さんが怒ります。「何で会社の金でガムなんかを買うんだ!自分が欲しいんだったら、自分の金で買え。」と。

するとその部下の人は、「いえ、違います。自分が欲しくて買うのではありません。これはお釣りのために、購入しておくのです。」と答えたのでした。「お釣り・・・?ガムをお釣りの代わりにお客さんに渡すのか。」と、 SB さんが戸惑いながら聞きます。すると「その通りです。」と、その部下が答えたのでした。 SB さんは「・・・!?」と、ポカンとしていたそうです。

そしてしばらく SB さんはこの事例を参考に分析・研究して、 【ベトナムの貨幣制度】 の、日本とのあまりの違いを知ることになります。それは貨幣の最小単位が 200 ドン(約 0.8 円)であり、 100 ドンの貨幣がないことでした。それでも大した支障が無く、スーパーや市場でもお金のやり取りがされているのが不思議でした。双方にとって都合のいいように、切り上げたり、切り下げたりしているようでした。

もしお客が、 19,900 ドンの品物を購入して、 20,000 ドン札で払うとしても、お釣りの 100 ドンはありません。それで実際には無い 100 ドンの代わりに、そのお釣り代わりに渡すのが、一枚のチューインガムなのでした。時には飴一個をもらうこともありました。

渡されたそのガムや飴を、もらう・もらわないはお客の自由です。

私がベトナムに来た当初からこのやり方でしたから、ずっと以前から行なわれて来ていたのでしょうか。でも昔の古い紙幣には、確かに 100 ドン札がありました。そして時に一枚のガムの代わりに、男性のお客の場合には、一本のタバコの場合もありました。 ( もしタバコを吸わないお客だったらどうするんだ・・・ ) と思いましたが。

SB さんはそれらの事情が次第に分かって来るにつれて、あらためて驚きました。 ( 銀行や大きな百貨店や会社などは、一体どうなっているんだろうか・・・? ) と、日本で経理の長い道を歩いて来た経験と自信が、このベトナムで揺らいできました。

確かに、日本では銀行などでその日の出入金が一円でも合わないと、その原因を突き止めるまで、全員が居残り・残業して、ピタッと一円単位に合うまで家に帰れないという話を良く聞きます。もし店長が、 ( たかが一円のためにみんなが残業するのだったら、自分が自腹を切ってみんなを早く帰そう。 ) などと哀れに思い、自分の財布からその一円を出したら、すぐ懲戒免職になると聞いたこともありました。

SB さんはベトナムでのそういう実態を調べていくうちに(こんなやり方だったら、銀行でも、スーパーでも、レシートや伝票と現金残高が合うのが不思議で、むしろ合わないほうが当たり前だろうな・・・。)と想像しました。実際私も銀行で両替した時に、両替票と完全に一致した金額を受け取ることは、まずありません。下の小さい桁は、切り捨てられていつも受け取ります。銀行側が損しないようなやり方になっています。

2012年5月3日木曜日


ビートルズはすばらしいに決まっています。問題はどれを「最高傑作」とするか。

それぞれのアルバムへの評価は、時代とともに変化してきました。

あらたまって「歴史的真価」を問うと、そのアルバムが持つ「時代性」「革新性」が重視されるように思います。

その意味では、 今投票すると「リボルバー」、「サージャント・ペパーズ」、「ラバー・ソウル」あたりになるのでしょうか。要するに歴史を変えたかどうかです。これらのアルバムがポピュラー・ミュージックの世界にもたらした衝撃は、否定しようのない事実。その革新性に誰もが驚きました。

しかし「音楽の殿堂」は、その作品自体が持つ音楽性そのものを重視しています。

その点からは、やはり「アビイ・ロード」です。

アビイ・ロードへの評価も、時代とともに変遷しました。69年の発表時、「これぞサージャント・ペパーズと並ぶビートルズ最高傑作」ということで人気爆発。なんと、ビルボード首位11週間、1,200万枚を売り上げます(ホワイト・アルバム<1,900万枚>に次� �)。

しかしその後、評価は下降トレンドへ。

たとえば、欧米の主要音楽誌の「歴史的アルバムランキング」では、こんな感じです。

2012年5月2日水曜日


反政府デモのために、エジプトから
帰ろうかなカイロかな、と思っても出国できない
日本人観光客が500人ほどいるらしい。しばらくは、
足止めらしい。ときに、
歌舞伎に「暫」という市川宗家のお家芸がある。
いわゆる「十八番、おはこ」である。これは
7代め団十郎の得意とする出し物の
名簿、つまりはnomenclatura(ノーメンクラトゥーラ)ともいえる。が、
「あいや、ムバラク!」と、
今回のエジプトの日本人観光客にモーセは現れない。ちなみに、
米国CBSがTVドラマ
"Moses the Lawgiver(立法者モーゼ)"を作ったとき(1974年)、
モーセ役はバート・ランカスターだった。ともあれ、
「あいや、暫く」のような、
いわゆる江戸時代の「武士言葉」「侍言葉」というものは、
公的な場で使う言葉である。そうした、
いわゆる武士の標準語ともいうべき言葉を習得するために、
武家では「能」を嗜んだのである。

世阿弥が死んだとされるのが嘉吉3年。それから10年後、
オスマン帝国の大軍にコンスタンティノポリスを落とされて
東ローマ帝国は滅亡した。その1453年、西欧では
ボルドーがフランスに奪還され返して、もはや
遅カレ早カレ終結になる百年戦争において、英国では
敗戦責任追求の矛先は当然に王室へ向けられた。
一揆が起こり、王位継承の内戦、英国版応仁の乱である
[赤薔薇=ランカスター家vs白薔薇=ヨーク家]
薔薇戦争に突入する。そして、
ランカスター派の血を引く唯一の男子となった
ヘンリー・テューダー(リッチモンド伯爵、1457-1509)は、
ヨーク派に命を狙わる的にされた。が1585年、
リッチモンド伯はボズワースの戦いでヨーク派を打ち破り、戴冠して
ヘンリー7世となった。この戦闘でヨーク派国王
リチャード3世(1452-1485)の軍は当初は有利だった。が、
ヨーク派スタンリー兄弟の関ヶ原における毛利兄弟的日和見戦闘不参加で、
形勢はランカスターに傾いた。敗戦濃厚な中で、
リチャード3世はシェイクスピアの芝居で"脚色"されてるように、
自暴の討ち死にをする。この戦功でスタンリー兄は
ダービー伯爵に叙せられた。競馬のオウクス、ダービーの創設者
第12代ダービー伯爵の先祖である。