特集・人生の目的 「なぜ生きるか」問われている時代
もし、「人生の目的」がなかったら、大変なことになります。
生きる意味も、頑張る力も消滅してしまうからです。
なのに、 「人生に目的なんて、ないよ」 と、言う人が、意外に多いのです。
本当にそうでしょうか。何か、大事なものを、忘れていないでしょうか。
1度きりしかない人生、後悔しないためにも、まず、「なぜ苦しくとも、生きねばならぬのか」を考えてましょう。
(1)「なぜ生きるか」 問われている時代
「あなたの家族が、自殺しようとしたら、どう言って止めますか」
こう聞かれ、自信を持って答えられる人は、どれだけあるだろう。
平成10年の自殺者は、急激に増加し、初めて3万人を突破した。1日あたり約90人も自殺している。自分の家族や友人に、いつ、自殺者が出てもおかしくない。いや、自分自身が、何か大きな障害にぶつかった時、果たして、大丈夫だろうか?
「死んではならない。生きることが尊いのだ!」 と子供に叫んでいた大人が、次々と自殺していくのは、一体どうしたわけか。
平成11年、日本を代表する評論家が手首を切って自殺し、世間を驚かせた。
校長先生の首吊り、飛び降り、割腹自殺も相次いで報じられた。
警察官がピストル自殺、エリート官僚が飛び降り自殺、政治家が首つり自殺……。
どんな"偉い人"も、分かったつもりで、まったく分かっていないのが、人生の目的「なぜ生きるか」の答えではないだろうか。
新聞の投書欄には、子供たちの、"心の叫び"が寄せられている。
●千葉県・高校二年生 「着たくもない窮屈な制服着せられて、受けたくもないつまらない授業を受けさせられて、やりたくもない部活やらされて、家に帰っても宿題とか家事とかいっぱいあって、だーれも生きた心地なんてしてないのに『命の大切さ』なんて口先だけで教えられたって実感なんて持てない」(朝日新聞・平成10年4月20日)
痛みの歌詞を支払う
●和歌山県・高校生 16歳 「人は何のために生きているのかと思います。日本人の平均寿命は80歳前後です。80年間も何のために生きていくのですか? 学歴社会ー当たり前のように使われているこの言葉が、たいして勉強のできない者にどれだけ不安を与えているか分かりますか。自分の夢に向かって一生懸命がんばってるのに、つらいことの方が多く残りの人生がとても嫌です。 最近の高校生はーと、よく言われますが、まじめにやっている者もいるんです。それでもうまくいかなくて、不安で逃げ出したくなって、自分のような人間が、本当に何か役立つんだろうか、つらいことを乗り越えて、まだ生きていく必要があるのか。 命は大切です。当たり前のことで、分かっているけど理解できない。あと六十年以上も、この苦しい日本の中で生きていきたくない。こんな思いで毎日過ごしています。 人は何のために生きているのですか。だれか教えてください」(産経新聞・平成10年3月19日)
●神奈川県・高校一年生 「実はみなさんに相談があります。 それは『人(自分)は何のために、何を目的に、何を目指して生きているのか』ということ。自分であれこれ考えて、一度は納得してみるものの、またすぐに、『夢を目指してがんばるのもいいけど、それをかなえて、そして自分が死んだ時、何が残るのかなぁ?』などと考えてしまいます。 みなさんに聞けば、いい答えが見つかりそうな気がします。期待しているので、どうかみなさんの意見を聞かせてください」(毎日中学生新聞・平成11年12月14日)
近年、子供の自殺も急増している。平成10年度に自殺した公立小、中、高校の児童・生徒は192人。前年度より四割も増加しているのだ。
子供たちの、素直な問い掛けに、誠意をもって答えたい。それが、自殺を予防するだけでなく、我が身の人生を見つめ直すきっかけになる。
「なぜ生きるか」、人生の目的を知りたいという声が高まる中、あなたは、どんな解答を準備しているだろうか。
トップ新規の歌
(2)目的がなければ 生きられない
人は、目的なしに、生きていけるだろうか。
朝日新聞の「天声人語」に、次のような話が載っている。
たしか、ロシアの作家ドストエフスキーの「死の家の記録」だったと思う。囚人に苦役を科し、土の山を別の場所に移し、またもとの山に戻すといった仕事を繰り返させたら、数日で首をくくって死ぬだろう、といっている。
これほど残酷な仕事はない。目的や意味があれば、たとえ苦しいことでも我慢する。だが、まったく無意味なことを自分で知っていて、しかも努力することはできない。それを強制されれば、ついに自分が自分自身に反抗するようになる。瀬戸内海の岩国で魚をとる人たちのニュースを読んで、思わずこの話を連想した。
岩国では汚染源の東洋紡の工場が、海でとった魚をすべて買い上げることにきめた。明け方、漁船が帰ってくると、工場のトラックが待っている。魚種ごとに魚の目方を� ��かったあと、工場にはこび、タンクに汚染魚を捨てる。悪臭を放つ魚に、市場値の金が払われる。
はじめのうちは、取れば取るほど金になるので、精を出して出漁する人もいた。が、やがて漁師たちの疑いがふくらんでくる。毎日、海に出るのは、捨てるための魚を取るためではない。金になりさえすればよいと、いつまでも割り切れるものではない。たとえささやかでも、自分の仕事に何らかの意味がなくては生きていけない。
「何のための人生か。漁民だっておいしい魚を食べてほしいのだ」「情けのうて涙が出ます」と口々に訴える声は胸をえぐる。(昭和48年6月16日。朝日文庫より)
山口県岩国の漁師の苦悩は、胸に迫る教訓である。「生き方」「生の営み」は、お金で解決できるものではない。目的があってこそ輝くのだ。
ミッキーマウスの滝
ドストエフスキーは、シベリアの監獄に入れられた体験を踏まえ、最も凶悪な犯人に、最も残酷な刑罰を与えようと思ったら、無意味で目的のない労働を科すのがいちばんだ、と『死の家の記録』に書いている。
監獄では、受刑者にレンガを焼かせたり、壁を塗らせたり、畑を耕させたりしていたという。強制労働であっても、その仕事には目的があった。自分が働けば、食糧が生産され、家が建っていく。意味を見出せるから、苦しくとも耐えていける。
しかし、こんな刑を科せられたらどうなるか。
大きな土の山を、A地点からB地点へ移させる。汗だくになってやり遂げたあとで、その土の山を、最初にあった場所Aへ再び移動させる。それが完了したら、またB地点へ……。
こんな目的のない無意味な労働を、毎日、繰り返し強制されたらどうなるか。
受刑者は、四、五日もしたら首をくくってしまうか、死んだほうがましだと考え、やけをおこして破滅するだろうと、ドストエフスキーは言っている。
人生もまた同じである。まったく意味のない苦労を、だれが、続けることができようか。目的のない苦労など、バカバカしくて、やっていられない。
どんなに苦しく、長い坂道であっても、「人生の目的」さえハッキリしていれば、耐えて生き抜くことができるはずだ。
(3)目的なき人生イコール不安な人生
「人生の目的がない」という人は、着陸する空港が分からないまま飛んでいる飛行機と同じで、不安、苦悩から離れられない。
オギャアと生まれた時を、飛行機が飛び立った時にたとえてみよう。大空では、一分一秒たりとも静止できない。休む暇なく飛ばねばならないのが人生である。
では、どこへ向かって飛べばよいのか。目的地もなく飛び続ければ、やがて燃料切れの墜落が待っているだけだ。
着陸すべき空港が見つからぬまま、刻一刻と燃料切れが近づいてくる。こんな飛行機に乗っている心境はどうだろうか。不安でたまらない。
そんな中、美しい音楽を聞いたり、おいしい食事を味わおうとしても、楽しめるはずがない。
目的地の空港にあたるのが「人生の目的」である。
いつでも、安全に着陸できる大空港がハッキリしてこそ、本当に、安心、満足した人生が開けるのである。
(4)目的が先か 生きることが先か
「生命を大切にしよう」
「自殺してはならない。がんばって生きていけば、きっといいことがあるさ」
「生きることが尊いんだ」
このように励ましてくれる人ばかりだ。
しかし、「とにかく生きよ」と励まされても、方角が分からねば進みようがないではないか。
ちょうど、見渡す限り水平線しか見えない大海原に、1人浮かんでいるようなものである。四方八方眺めても、陸地がどこか、さっぱり分からない。
この場合、陸地が「人生の目的」にあたる。じっとしていれば沈むだけ。生きるからには泳がねばならぬ。では、どこへ向かって泳げばよいのだろうか。
「精一杯、泳げるだけ泳ぐだけさ」と強がっても、方向が分からないまま泳げば、ますます、陸から遠ざかるかもしれない。
そのうちに体力が尽きておぼれるのは目に見えている。
その不安に満ちた心境は、まさに、「人生の目的」を知らずに生きる姿である。
陸地がどこか、ハッキリ分かってこそ、全力で泳ぐことができる。
「人生の目的」は何か、ハッキリ分かってこそ、どんな荒波も乗り越えて、全力で生きることができるのだ。
幸福な人生への第一歩は、「なぜ生きるか」、人生の目的をハッキリと知ることである。
あなたが仏教から学べるたった一つのこと
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