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Q たちあがれ日本ってどんな政党なの?
A 遠い神話の時代から私たちの祖先は度重なる国難にも敢然と立ち向かい、私たちの国の独立を脈々と守り続けてきました。その誇りある日本の伝統、文化、歴史を大切にし、私たちの子孫にしっかりと伝えていく必要があります。私たち、たちあがれ日本はそんな保守の精神を持ち、真に国を愛する唯一の政党です。
Q そもそも日本ってどういう国なの?
A 私たちの国は天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫である天皇を中心に戴き、天皇は私たち国民を大御宝(おおみたから)と呼び祭祀を行うことで稲穂が広がるこの美しい国土と民の安寧を祈り続けてこられました。そして聖徳太子の時代に有名な"日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや"という国書を当時中国を治めていた隋に送り対等であることを宣言したのです。そうして2671年という長きに渡り独立を守り、誇りを持って続いてきた国、それが私たちの日本という国なのです。また、近年になって欧米諸国がアジアの国々を支配し苛酷な搾取をしておりました。ついに私たちの国にもその矛先が向いたとき、私たちの祖先は自らの身とアジアの国々を守るために敢然と彼ら欧米諸国に立ち向� �いました。私たちの国は残念ながら力尽きてしまいましたがアジアの国々はついに独立をすることができて今ではすくすくと育っています。
Q 日本が危ないってどういうこと?
A 戦後、真実を捻じ曲げて日本の歴史を不当に貶め、誇りや団結力を奪い、私たちの国をばらばらにして弱くしようとする人達が政治や報道機関、教育の場などで増えてきました。その結果、今や中国、韓国、アメリカなど諸外国の言いなりになって私たちの国が根こそぎ売り渡されそうになっているのです。
Q 日本は守りたいけど他の政党じゃだめなの?
A 民主党は基本的に中国や韓国、北朝鮮など諸外国の支援を受けている議員が多く所属する政党です。また、私たちの国を悪者であると教え、子供から誇りを奪い学力を低下させようとする日教組といわれる教職員組合が支持母体でもあります。そのため政権についてから着々と日本を破壊する政策を実行に移しています。自民党もかつては日本を守ろうという人がたくさんいたのですが今では少数派になってしまいました。公明党は朝鮮半島と強いつながりがありますし、みんなの党はイメージは良いかもしれませんが中身は第二の民主党と言われています。社民党や共産党は当然ながら共産主義の傾向が強いです。
Q テレビや新聞ではあまりそういう話は聞かないけど?
A 戦後、GHQの手によって国の重要な地位についている方が何十万人も追放されました。その代わりに刑務所から解放された左翼と言われる人たちが公職、教育、マスコミの世界に入り込むことになりました。その結果、戦前の日本を不当に悪く貶め、中国や韓国にすり寄り真実を報道しない社会が作られていくことになったのです。
Q 日本を守るためにはどうしたらいいの?
A まずは、この危険な現状を周りの人たちに教えてあげてはどうでしょうか。インターネットが発達したことで同じ心をもつ人々が繋がりあい中東では長く続いた独裁政権が崩壊するまでになりました。 私たち一人一人が危機感を持ってたちあがり選挙で本当にこの国を愛する政治家に投票することで現状は必ず変わります。たちあがれ日本はそういう皆様の期待に必ずお応えできると信じております。
嘉永六年(一人二二年)に米国から派遣された東インド艦隊司令長官ペリー提督の要求を容れ、日本はそれまでの鎖国政策を改めました。外国に国を開き国際社会に参加することになったのです。
当時は、欧米諸国が自らの利益のために世界各地を征服。分割して植民地とする弱肉強食の時代でした。一五世紀の大航海時代から世界に進出していた欧米列強は、アメリカ大陸やアフリカの分割・植民地化を進め、やがてアジアの大部分をも植民地としてしまいます(2、3ページ参照)。
アジアの大国。中国(清)は、イギリスからの麻薬(アヘン)輸入を禁じたところ、戦争を仕掛けられて敗北(アヘン戦争)、香港を奪われ、広東の開港を余儀なくされ、次第にイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどに勢力圏を設定され半植民地化されていきます。インド・パキスタンは、ムガール帝国がイギリスに滅ぼされて完全にイギリスの植民地とされ、隣国ビルマもその英領インドに編入されました。ベトナム・カンボジア・ラオスは、フランスが征服して仏領インドシナとしました。マレーシア・シンガポールはイギリスの植民地、インドネシアはオランダが征服、フィリピンは最初はスペイン、後にアメリカの植民地になりました。
朝鮮は清の属国でしたが、隣接する満州周辺をおさえたロシアの勢力が日前に迫っていました。アジア諸国の中で独立を保っていたのは、日本を除けば英仏の緩衝地帯としてようやく独立を維持していたシャム(タイ)だけでした。
このようなアジアの植民地化の実態は、開国以前から日本ではよく知られており、特にアヘン戦争で中国が敗れたことは幕府にも大きな衝撃を与えました。水野忠邦の天保の改革は、アヘン戦争を意識して国内政治を立て直そうとした側面があります。また、開国後は、多くの日本青年が海外に留学・外遊しますが、そこで植民地となったアジアの惨状を目の当たりにして強い危機感を抱き、それが日本の近代国家建設=明治維新への大きな原動力になったのでした。
日本の開国は、欧米列強のアジア征服、植民地化の激流に身を投じることを意味していました。その流れに抗して独立を保つためには、西洋の文明をいち早く取り入れて国を富まし、軍隊を強くして、自らの国を自らのカで守れるだけの国力をつける必要がありました。「文明開化」、「富国強兵」が急速に進められた明治時代は、国の独立を保とうとする強い危機感に貫かれた時代だったのです。
〓高杉晋作が見た中国植民地化の衝撃〓
幕末の長州藩志士・高杉晋作は、開国後の文久二年(一人六二年)、藩命で幕府使節随行員として長崎から中国の上海に渡航します。そこで高杉が見たものは、欧米の植民地化が進む中国の実情でした。高杉はその衝撃を日記にこう記しています。
「上海の形勢を観るに支那人はことごとく外国人の便役のため英仏の人街地を歩行すれば、清人皆避けてかたわらに道を譲る。実に上海の地は支那に属すといえども英仏の属地というもまた可なり」
自国の領土でありながら、欧州人に出会ったらこそこそと道を譲らねばならない惨めさ、それに象徴される植民地化の現実を実感した高杉は、日本も国を守るための策を早く為さねば中国の二の舞になってしまう、という強い危機感を持ちます。
帰国後、高杉は攘夷運動に加わり、イギリス公使館の焼き討ちなど先鋭的な活躍を見せます。高杉は、この後、身分にとらわれず志を持った者で組織された奇兵隊という民兵隊を結成し、藩政改革に決起、倒幕の戦いの先頭に立ちました。高杉が、その短い生涯を駆け抜けていったのは、この上海での衝撃が大きく影響しています。
明治維新の後、欧米諸国の帝国主義(世界規模の植民地獲得競争)の苛酷さに直面していた日本は、自らの独立を保持するため、近隣のアジア諸国との連携を望んでいました。それなのに、なぜ清(中国)との戦争(日清戦争)になってしまつたのでしょうか。
現在の中国は、日本の「侵略」的意図が原因だと非難していますが、実際には、朝鮮の地位をめぐる対立が戦争の原因です。日本にとっての最大の脅威は、次々に南下して勢力圏を拡大していたロシアでしたが、そのロシアが朝鮮半島へも触手を伸ばし始めていたのです。そこで、当初日本は朝鮮と友好関係を結ぼうとしました。しかし、当時の清は朝鮮を属国にしていたため、日本の影響で朝鮮独立の気運が高まるのを嫌つて様々な妨害を加えてきたのです。朝鮮でも、日本と結んで近代化を学び独立国家としての力を養おうとする勢力(独立党)とこれまで通り宗主国清に頼って乗り切ろうとする勢力(事大党)との間で争いが起こりました。
そして、明治二十七年(一八九四年)、朝鮮国内で「東学党の乱」という農民反乱が発生したことをきっかけに、清は大軍を派遣し朝鮮の支配権を一気に固めようとしました。このため、日本も軍隊を派遣、遂に武力衝突となり、日清戦争が起こったのでした。
日清戦争は日本の勝利に終わり、その講和条約によつて、清は朝鮮が「完全無欠の独立自主の国」であることを認めました。日清戦争は、朝鮮独立を決定付けた戦争なのです。
また、その十年後に起こった日露戦争についても、日本の「大陸侵略」の足がかりとして起こされたという主張がありますが、これも誤りです。ロシアは朝鮮と隣接する満州に大軍を駐留させ、日本が独立をもたらした朝鮮に様々な介入を行ってきました。朝鮮が完全にロシアの支配下に入ったら、日本の独立は危機に陥ります。そこで、何とかロシアの勢力を朝鮮から排除しようと立ち上がったのが日露戦争なのです。当時ロシアは日本の十倍の国力・軍事力を持っていたため、日本は戦争よりも交渉で危機を打開したかったのですが、ロシアは聞く耳を持たず、日本はやむを得ず開戦に踏み切ったのでした。
幸い、日本の国力が尽きる前に講和が成立し、勝利した日本は戦争の賠償としてロシアから南満州の権益(南満州の鉄道と附属地の
租借権等)を獲得する結果となったのです。この権益は、清がロシアに与えていたものです。しかも、清自身も日本への譲渡に同意し
て、日本と条約を交わしており、国際法上正当な権利でした。
なお、満州を戦場とされた清を戦争の被害者とする見方もありますが、実際には、清はロシアと秘密の協定を結んでいて、日露戦争ではロシアを支援する、つまり日本と敵対する立場に立っていました。言わば戦争の当事者であって単純な被害者ではないのです。
〓中国によって決められた朝鮮の国名〓
当時の朝鮮半島を支配していたのは、「李氏朝鮮」でしたが、中国とは宗主国と属国の関係= 「宗属関係」にありました。その一つの象徴として朝鮮の国号は、中国によって決められたという経緯があります。
一しれは、一四世紀、李成桂の建国時、明(当時の中国)から国号の報告を要請されたのに対し、李が「朝鮮」と「和寧」(李成機の生誕地)を提示して選択を依頼して決めてもらったのでした。明が選んだ「朝鮮」とは、明の方から朝鮮を見ると朝、太陽が出る方向にあり鮮やかと言う意味です。
因みに、朝鮮では年号(日本では、明治とか昭和とかいうもの)も、日本のように独自のものを使用してきたわけではなく、明国の年号を使用していました。
-日露戦争を評価する世界の識者たちの声-
日露戦争は、欧米の植民地主義を打ち破った最初の戦いであり、このことを評価する世界の人々の声は多いのです。その一部を紹介します。
◎ジャヮハルラル・ネルー〈インド初代首相〉
「アジアの一国である日本の勝利は、ァジアの全ての国々に大きな影響を与えたoヨーロツパの一大強国が敗れた。とすればアジアは昔度々そういうことがあつたように、今でもヨーロツパを打ち破ることができるはずだ。ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり、『アジア人のアジア』の叫びが起こった。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであつた」
◎ヌルベル・ヌレシユ〈トルコ駐日大使〉
「私は小学校時代、教科書で、東郷元帥は軍人としてだけでなく、人格的にも立派だと教わりました。ロシアのバルチック艦隊を破った元帥は、長年ロシアと戦って勝てなかつたトルコ人にとつても英雄です。あの時トルコも、ダーダネルス海峡を通過するロシアの黒海艦隊を牽制して、日本に協力したの です」
◎孫文〈中国民族革命運動の指導者、中華民国初代大総統〉
「これはアジア人の欧州人に対する最初の勝利であつた。この日本の勝利は全アジアに影響を及ぼし、アジア全体の民族は非常に歓喜し、そして極めて大きな希望をいだくに至った」
◎ハーフイズ。イブラヒム〈エジプトの詩人〉
「白人は十字架を賭けて/勝つまでは死をも辞さぬと誓いを立て/黄人は八百万の神に賭けて/勝利を得ねば剣を鞘に収めじと決意した/そこで自人と黄人とが相まみえるや/大地は山々もろとも揺れ動いた〈中略〉
東洋人だけが名を呼ばれぬ時代があった/東洋が誰の心の端にもかからず/忘れ去られていた時代が経過した/だが今や黄人は東洋にかつての日々を取り戻させ、黒人も褐色人種も同様の権利を認められたのだ」
◎ヨゼフ・ピウスツキ〈ポーランド独立運動指導者、独立後のポーランド国家元首〉
「あの(日露〉戦争はポーランドの今日をあらしめる重大なる階段でありました。私は日本が必ず勝つことを期待していました」
◎レジナルド・カーニー〈元ハンプトン大学助教授、アフリカ系米国人〉
「ただ単に、ロシアをやっつけたというだけでなくて、白人が有色人種を支配するという神話を完全に打ち砕き、『他の呪われた有色人種』の秘めた力を引き出すきっかけを作った。それが日本だったのだ。(中略〉…つまり『黒人の中の、ヨーロッパによる略奪と搾取からアフリカ大陸を取り戻す意識をふたたび目覚めさせる』時代の到来を予期させるもの、それが日本の勝利だったのだ。〈中略〉この戦争を契機に、黒人は日本人が自分達と同じ有色人種だという同胞意識を、強く抱くようになった」
◎フアン。ポイ・チャウ〈ベトナム独立運動の指導者〉
「日本は、米国の虎やヨーロッパの鯨の横暴に対して、黄人種として初めて歯止めをかけた。なぜ日本がそれをなし得たか。答えは東京にある 。中国、朝鮮、インドからの留学生で東京は溢れている。日本に学べ」
◎サヌシ・パネ〈インドネシア歴史家〉
「一九〇五年に、日本がロシアを破ったことは、アジア人もまた西洋を打ち負かすことができるほど強くなれるという信念を強化させた。それ以後、インドネシア人は、大国として発展する日本にいっそうの注目をそそぎ始めた」
◎東郷ビール
ロシアの圧迫を受けていたフインランドでは、日露戦争における日本の勝利に歓喜しました。日本海軍の指揮官であった東郷平八郎元帥の知名度は高く、かつてつくられた提督ビールシリーズには、東郷元帥のラベルもありました。
慮溝橋。支那事変(日中戦争)の発端となつた慮溝橋事件は中国側の発砲によつて始まった。(写真一毎日新聞社)
昭和十二年(一九三八年)七月七日、北京郊外の慮溝橋で夜間演習中の日本軍に対して夜十時から翌朝五時の間に三度も中国軍(蒋介石率いる国民政府軍)側から不法射撃が浴びせられ、日中両軍が衝突する事件が起こりました。これが慮溝橋事件で、支那事変(日中戦争)の発端となります(日本軍の発砲は八日になってから)。この事件には、中国のもう一つの勢力である中国共産党(中共)の思惑が潜んでいました。もともと中共と国民政府は対立戦闘状態にあり、一時中共は壊滅寸前まで追い込まれていました。しかし、昭和十一年十二月、中共と手を結んだ張学良(ちょうがくりょう)に蒋介石が逮捕・監禁され、釈放の条件として中共との和解と抗日戦線結成を合意させられた(西安事件)ため、 国民政府軍は、日� �と戦わざるを得ない立場に置かれていたのです。それでは、何故、北京郊外に日本軍はいたのでしょうか。それは、中国に在留する日本人を保護するために軍隊を駐屯させる権利を日本が得ていたからです。本来なら中国に住む外国人の保護は中国政府の責任ですが、一九〇一年の義和団事件(北清事変)で中国政府(当時は清)自身が在留外国人を襲撃して危害を加えたことから、自国民保護のためにそれぞれの国が軍隊を駐屯させる権利を国際条約(北京議定書)
で認められたのです。慮溝橋事件当時、日本軍のほかにも、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアの軍隊が北京近辺に駐屯していたのでした。今日中国を支配する中共政府は、慮溝橋で最初に発砲したのは日本軍の仕業と主張していますが、夜間演習中の日本軍は実弾を装填していませんでしたから発砲は物理的に不可能でした。実は、中共自身も「七・七事変(慮溝橋事件)は、劉少奇同志(後の中国国家主席)の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動を以って党中央の指令を実行したもの」と自らが事件を引き起したことを表明しています。この事件は、抗日戦線の形成に成功した中共勢力が、更に進んで国民政府と日本との武力衝突を引き起こして、対日全面戦争を導こうとした陰謀によるものだったのです。ソ連・コミ� �テルンも「局地解決を避け、日支の全面的衝突に導かなければならぬ」という指令を発していました。そのため、現地で両軍の停戦協定が何度結ばれても中国側の発砲で武力衝突が繰り返されました。現地での解決を目指して不拡大の方針だった日本政府も遂に
増援軍の派遣を決定します。さらに通州では非戦闘員である日本人男女二二三人が翼東政府の中国保安隊に惨殺される事件が起こり、日中の対立は激化、中共の思惑通り日本と中国は全面戦争に突入していくことになったのでした。
〓「漢奸」江兆銘の真実――'和平救国'に込められた悲願〓